緩慢しきった日差しの中、
 時間すら止まったような午後、
 人間で在りし時シエル・ファントムハイブ
 と呼ばれた少年は、
 することも無く書斎に篭り、
 本を読んでいた。

 濃紺の髪が青碧眼の大きな眼にかかるのを
 たびたび嫌がるようにかきあげながら、
 本に没頭している。

 扉をノックする音が聞こえ、
 静かに彼の執事セバスチャン・ミカエリス
 が書斎に入ってきた。

 白手袋に包まれた手で銀のワゴンを押し、
 その上に用意された、ティーソーサーに、
 茶葉を入れる素振りをすると、
 ポットから湯を注ぐ素振りをし、
 砂時計をひっくり返す。

 そして紅茶色の瞳を無表情に、
 彼の主に向ける。
 それから澄み渡った声で、
 少しばかりの嘲笑を籠めながら、言う。

「何をそんなに、
 読みふけっているのですか?」

 
 シエルは本の背表紙を見せながら、
 気だるそうに答えた。

「ジュール・ヴェルヌの『月世界旅行』」


「ぼっちゃんは、大変その作家を、
 お気に入りですね。
 今まで何度か、
 その方のものをお読みになられている所を
 拝見しましたが−−」

「暇だからな」


 セバスチャンはソーサーを高く掲げて、
 ティーカップに優雅に注ぐ手つきをする。


「お前も暇だろう?」

 シエルは目をあげて、セバスチャンに、
 皮肉な視線を投げかける。


「さぁ。そう見えますか?」

「ああ、十分にな」

「それはお誘いですか?」

「いや、違う」
 

 と瞬時にきっぱり否定するシエルに、
 くすくす笑いながらセバスチャンが近寄る


「嘘おっしゃい。
 構って欲しかったのでしょう?」

「誰が・・」

「ああ、そうですか。
 では私のことを構ってもらいましょう」


 というやいきなり、
 セバスチャンはシエルを抱きかかえて、
 寝室へと連れて行く。


「昼間っから、こういうことは嫌だと
 言ってるだろう?」


「おかしなことを。私たちに昼夜の別など
 何にも意味がないというのに」


「だからけじめを」


「人間だったときには、
 スケジュールの遅れなど
 全く気になさらない、時間の感覚の無い方
 だったのに、よく言いますね
 とにかくそんな事をいう口は、
 塞ぐに限ります」

 と言って、セバスチャンの唇が重なり、
 舌がもつれ合うと、
 もうシエルは抵抗する気も失せてしまう。


「ほら、やっぱり」

「嫌なんだ、お前はいつもそうやって、
 僕をその気にだけ、して・・」

「挿れないから?」


 シエルは物凄く顔を赤らめて、
 体をじたばたと動かす。


「そんな風にはっきり言うなっ!」

「抱かれたいのですか?
 挿れられたいのですか?
 したいのですか?

 どの表現がお好みですか?」


「あのな・・・
 レストランのメニューじゃないから」

 オーダーを取るような口調の、
 セバスチャンにシエルは呆れ気味に言う。


「選ぶのは貴方です!」

「何かのキャッチコピーかっ」


 ふふふと笑う漆黒の執事の頬に、
 手を差し伸べて、
 その冷たい感触を楽しむ。


「挿れられたい・・」

「ダイレクトなものを選びましたね。
 驚きました」

「お前が選べっていったんだろうが・・」


 セバスチャンもシエルの、
 柔らかな頬を撫でながら、
 どこか寂しそうな眼をして言う。


「でも私は貴方を抱いて、
 壊してしまいたくない」

「壊せとは誰も言ってない!」

「同じ事です」


しばらくの沈黙の後、シエルが尋ねる。


「壊さないようには・・できないのか?
 例えば・・優しくとか・・」

「無理ですね」

 
 平然と答えるセバスチャンに、
 呆気に取られるシエル。
 そしてしばらくすると、
 愕然とした表情でつぶやく。


「そうなのか・・悪魔の交合って、
 そういうものなのか」

「ああ、人によりますけど」

「じゃ何か?
 お前以外なら優しく抱ける悪魔もいるけど
 お前だけは絶対そんなことはできないと?
 壊さなければ挿れられないと」

「ええ、仰るとおりです」

「・・・酷い・・酷すぎる」

「こればっかりは−−」

 申し訳なさそうに頭を下げる、
 セバスチャンをみて、
 シエルはなんとなく気がついて、
 勇気を出して聞いてみた。


「あの・・その・・
 それは・・いわゆる、
 サイズとかの問題でしょうか?」

「何故そこで突然敬語なのです?
 いまぼっちゃんは、
 何に敬意を持たれたのですか?」

「いや、なんとなく・・」

「まぁそれもありますけど、
 一番大きな問題は−−」

 言いあぐねるセバスチャンに、
 シエルはやきもきして質問を重ねる。


「形状とか?」

「いや、精神的な問題かと−−」

「馬鹿か!!
 じゃやっぱりただ単に、
 お前の精神的嗜好の問題で
 壊したいだけなんじゃないか!」

「いや、貴方が尋ねといて何故、答えると、
 そんなに怒られるのか、
 さっぱりわかりませんが」

「ああ・・そうだったな。
 お前にきいた、僕が馬鹿だった・・」


 体ごとそっぽを向くシエルの後ろから、
 背中を抱きしめて、セバスチャンが言う。


「泣いてらっしゃるのですか?」

「あほか、泣くかこんなので」


 セバスチャンの手から、
 手袋が脱ぎ捨てられて、
 後ろからシエルの首筋にキスし、
 シエルのシャツのボタンを、
 上から外し始める。

 そしてその冷たい手が、シエルの滑らかな
 陶磁器のような肌を這い、
 その柔らかく幼い乳首に触れられると、
 思わずシエルは仰け反り、
 微かな啼き声を発した。


「可愛らしい声ですね」

「一々評論しなくていい」

「やっぱりこうしていると、
 壊してしまいたくなります」


 セバスチャンはシエルを後ろから、
 息が出来なくなるほど、強く抱きしめる。


「・・どっち・・なんだ・・
 壊したいのか・・
壊したくないのか・・」

 苦しそうに喘ぎながら、シエルが尋ねる。


「そうですね、少し考えさせてください」

「馬鹿なことを・・
 こんなこと考えたって・・」


 シエルの首元にも手が回され、
 頚動脈を押さえつけられて、
 意識を故意に落とされた。

 薄れゆく意識の中で、セバスチャンの、
 ふざけたような笑い声だけが
 耳の中に木霊していた。



 目が覚めると、
 シエルは白いシーツをひかれた、
 硬いベッドに寝かされていた。
 
 上体を起こすと、
 まだ息苦しさが残っていて、
 あれが夢ではなかった事がわかる。
 無性に腹が立って、シエルは怒鳴った。

 
 ・・セバスチャン!!早く来い。
 説明しろ!・・・・


「呼ばれなくてもここにいますよ」


 シエルの枕元にセバスチャンが、
 妖しい微笑をしながら立っている。


「お前!!」

「ちょっとサプライズをご用意するために、
 気を失って頂きたかったもので」

「なんだと?」

 シエルは憤懣やるかたないといった様子で
 ベッドから起き上がろうとする。


「ああ、まだ駄目です。
 もうちょっと寝てらしてください」

 セバスチャンは寝台に座り、
 シエルの上腕を強く掴んで、押し倒す。


「お前に指図される覚えは・・」

「指図ではありません、
 私からのお願いです」


 セバスチャンは、顔を近づけ紅茶色の瞳を
 哀願するように翳らせて、口を寄せた。

 吐息が重なり、舌が絡み合う。


 ・・なんだって僕はこいつのキスに、
 こんなに弱いのだろうか・・


「それで考えた結果は出たのか?」

「ええ、こちらに来てください」


 また口吻しながらシエルを抱きかかえ、
 寝台を離れて、廊下らしきところにでると
 丸い窓が開いている。


「どうぞ、ご覧ください」


 シエルが唇を離して、セバスチャンの首に
 しっかり手を巻きつかせながら、
 窓の外を覗くと、そこには、
 何処までも広がる闇の空間の中に浮かぶ、
 青く碧色の丸い、星があった。


「ぼっちゃんの瞳の色と同じでしょう?」

「だから?」

「これから月に行くのです。
 行きたかったのでしょう?」

「それが考えたこと?・・」

「これが私の結論です。ぼっちゃん。
 あとは貴方がお考えくださいませ」


 そういうと、
 セバスチャンはにっこりと悪魔のように、
 でも愛しいものを見つめるように、
 微笑んだ。


 ・・やっぱり僕にはお前の考えることは、
 いつだってさっぱり分からない・・


 シエルはセバスチャンの髪を両手で掴みながら、瞳を閉じて、熱く口吻した。

「ぼっちゃん、瞳を閉じないで。
 地球とどちらがより青いか、
 比べたいのだから」

「うるさい」


 廃棄処分が決まったスペースシャトルが
 昨夜何者かに強奪されたと、
 朝刊記事の一面が騒ぎ立て、

 テレビのニュースは、どのチャンネルも、
 行方不明となったスペースシャトルのこと
 についての討論会ばかりだった。



 「ぼっちゃん、あれを見てください」

「嫌だ」

「なんで、
 いきなりお断りになるんですか!?」


 シエルはいかにも不機嫌だという表情で、
 セバスチャンを睨みつける。


「理由がわからないのか?」

「ええ、全く−−」

「お前は僕を、
 ここに何の為に連れてきたんだ?」


 シエルは、枕の上に肘をつき、
 小さな顎を乗せながら、
 隣に横たわり窓の外をちらちら眺める、
 セバスチャンの顔を、見下ろして尋ねた。


「寝台をここに置いたのが不満で?
 でもここのほうが、
 よく窓の外の景色が見えますから」

「この宇宙船の中の話じゃなくて・・」


 セバスチャンはようやく、
 シエルの側に身体を向けて、
 シエルの瞳を見つめながら答えた。


「月に行きたいのかと」

「いや、
 それはお前が勝手に考えたんだろう。
 そうじゃなくて・・」

「ああ、壊す壊さないの話でしたっけ?」

「もういいっ!」

 
 シエルが寝台から、
 がばっと起き上がろうとすると、
 セバスチャンが腕を掴んで、
 自分の胸に引き寄せて囁く。


「ちゃんと壊してあげますから、
 もうちょっとだけ
 辛抱して待っていてください」

「いや、
 壊されるのを待ってるわけじゃないぞ、
 僕は」


 手を振り解いて、
 起き上がろうとするシエルを
 さらに強く抱きしめて、
 セバスチャンが言う。


「貴方もしっかり、
 おねだりしてくれなくては−−」

「いや、もう十分、
 いや十分過ぎる程してると思うぞ」

「まだ足りません」

 シエルは意思の強そうな唇を曲げて、
 セバスチャンの白いシャツに包まれた胸を
 強く手で押して、身体を離しながら言う。


「これ以上何と言えと?
 お前の選択肢の中から選んで、
 言ってあげただろうがっ!」

「回数が−−」

「は?一度じゃ駄目?

 ってかそんな恥ずかしい台詞、
 何度言わせれば気が済むんだ」


 セバスチャンは優雅な手つきで、
 白く細い指をシエルの唇に当てると
 そのまま小さな顎を経由して、
 首へと動かして、
 シエルの黒いリボンタイを解く。
 

「さぁもう一回言ってください」

「命令するな」

 
 セバスチャンは片手で手際よく、
 シエルの黒いシャツのボタンを外していく


「どんな口調でも良いですから」

「挿れたいなら、挿れさせてやるから、
 挿れてみろ」

「何かの品詞の活用みたいですね」


 セバスチャンはシエルの首筋の、
 血管が見えそうなくらい透き通った肌に、
 口をつけて、愛撫していく。

 かすかに喘ぎ声を発するシエルに、
 セバスチャンが囁く。


「ところで、窓の外を−−」

「そんなものはどーだっていい!」

「そうですか−−」


 シエルの濃紺の前髪をかきわけ、
 瞳の色を確かめながら、
 セバスチャンが徐々にシエルの胸に、
 手を這わせていく。


「やっぱり、もっと言ってください」

 
 ほんのりかすかに薄紅色にそまる、
 シエルの乳首を指先で転がし、軽く抓って
 セバスチャンは催促するかのように、
 シエルの顔を見つめる。


「挿れて・・・」

「それじゃ駄目です」

「挿れろ!」

「その方がいい」

 というと、
 セバスチャンは愛撫を再び始める。


「いつでも貴方はただ私に命令すればいい」

「でも・・
 僕はお前に命令して抱かれるのじゃ・・」

「嫌だと?」


 シエルの下半身に手を伸ばしながら、
 尋ねるセバスチャン。


「では無理やりの方が?」

「いや、
 すでに僕がこんなにせがんだ段階で、
 無理やりとは言わない気が・・」

「それもそうですね」


 シエルの身体が、
 突然びくんと跳ね上がるように動き、
 シエルは、その柔らかい唇を噛んで、
 眉を寄せた。


「窓のそ−−」

「言うな」


「セバスチャン!だから僕は・・」


 仰向けになって横たわるシエルの、
 快楽の余韻を舐め取るセバスチャンに、
 喉から振り絞るような声でシエルが言う。


「快感だけが欲しいのではなくて」


 セバスチャンは、赤い舌先をちろちろと
 出し入れしつつ、シエルが言いたかった事の先を続けた。


「分かっているなら何故・・」


 シエルの顔の位置まで戻って、
 セバスチャンは紅茶色の瞳で、
 真剣にシエルを見つめてから、
 口を寄せて舌を絡めつかせた。

 しばらく互いに舌を吸い合い、
 口腔内を味わいつくした後で、
 唇を離して、セバスチャンが言う。


「もう少し待ってください。
 見せたいものがあるから−−」

「じゃさっきから窓の外窓の外って、
 言ってたのは・・」

「いえ、
 それはまた別のものでしたけれども」

「一体何だったんだ?」

「初めのは、
 貴方が見たがってた月に再接近した時で、
 2回目は、火星のマリネリス渓谷です」


 シエルは眉を顰めて、
 何だか分からないといった顔で尋ねる。


「なんだそれは?」

「太陽系最大の断層で−−」

「また出た・・地層・・」

「何か言いました?」

「いや別に・・
 で三度目のは?」

「エロスという名前の小惑星でした」

「ふんっ」


 そっぽを向くシエルの耳にキスを降らせて
 漆黒の悪魔はまるで大切なものを扱う様に
 優しく後ろから抱き寄せた。

 先程の、
 セバスチャンの愛撫から時間が経っても、
 シエルは小さな躯を火照らせ、
 呼吸が荒いままだ。


「熱い・・」

「でしょうね。もうすぐ木星通過ですから」

「関係あるのか?」

「ええ、木星の衛星の火山から噴き出る、
 プラズマの影響で、
 木星には恐ろしいほどの、
 放射能の帯があるのです」

「・・・・」


 シエルは思わず全裸の自分の肌を、
 チェックしている。


「大丈夫ですよ、私が守ります」

「それは・・守れるようなものなのか!?」

「いつだって、何からだって、
 私は貴方を守り抜きますよ。
 それが放射能だろうが、
 プラズマだろうが」


 そう言ってシエルの身体の線にそって、
 ごく微かに撫でていく。
 それと共に、
 シエルの身体もすぐに反応していく。


「もう駄目だ・・セバスチャン!
 お前が欲しい・・」


 セバスチャンは、
 シエルの最も反応する部分を、
 右手で愛撫しながら、言う。

 
「良かったですね。着きましたよ。
 ほら今度こそ、
 窓の外を見てくれますか?」


 セバスチャンに言われて、
 シエルが丸い窓に頭を寄せて、
 外を見ると、
 土星の裏側に入っている事に気がつく。

 太陽光が、土星の氷と石で出来ているはずの円盤状の部分の一点のみ照らしていた。


「手を出して」


 セバスチャンは、
 右手はシエルを愛撫したまま、
 シエルの左手の手首を掴んで、
 その窓ガラスに当てさせる。

 ちょうどシエルの左手の薬指のところに、
 土星の輪と太陽でできた輪が重なった。


「主に手を出す前には結婚を申し込まないと
 なりませんでしょう?
 これが私の見せたかった、
 貴方への指輪です。

 受け取ってくれますか?」


「お前馬鹿だろ・・
 しかも、
 こんな風に・・僕を・・感じさせながら、
 そんなことを言う・・
 お前は本当にえげつない奴だ」


「ええ」


「だから僕の答えも分かるだろう?
 聞かなくても」


「ええ」


 漆黒の悪魔はゆっくりと自分をシエルに沈み込ませていった。




 シエルの躯に、
 雷撃のような強烈な痛みが走る。


「酷・・い・・馴らしも・・しないで」

「優しくされたかったですか?
 生憎そのような優しさは、
 私は持っていないのですよ」


 シエルは助けをもとめるかのように、
 窓に両手をつく。

 それをまるで逃がさないとばかりに、
 セバスチャンは、
 シエルの小さな手首に爪を食い込ませて
 さらに深く自分を侵入させていく。

 ピンを弾くように、
 筋肉が切れていく音がシエルの内部で響く
 そこが焼け爛れていくような感覚に、
 シエルは瞳に涙を滲ませた。

 猛り狂うようにシエルを抱きながら、
 セバスチャンの瞳が
 赤から紅に、朱に、緋色に変わっていく度
 宇宙空間に同じ色の閃光を放って、
 スペースシャトルが加速していく。

 星が降る。
 時空が歪む。
 躯が壊される。

 Its so deep? its so wide?
 your inside?
 Synchronicity

 涙で見えてはいないが、
 シエルの手の先には、
 星が線上に流れる光景が広がっている。


 加速する
 限りなく光速に近くまで。
 質量が無限大に増加する。

 呼吸もできないほど
 速く。熱く。

 膨張する宇宙の端を
 捕まえに行くように
 さらに加速していく。
 
 動きが同調する
 全てが同調する

 光と影のように
 もたらされる快楽と苦痛のように
 繋がる悦びと引き千切られる痛みのように

 相反する物が同化していく。
 いや、その本質が同等だと理解する。


 そして窓から、
 一番近い恒星のまばゆい光が差した時に、
 シエルは自分の中に、熱く同時に冷たく、
 麻痺するような恍惚をもたらすものが、
 放たれたのを知った。


「舐めて治すくらいなら、
 初めから壊さなければ良いのに・・

 痛いっ!染みるっ」


 シエルは枕に顔を押し付けながら、
 くぐもった声で不満をぶちまけている。


「すみません−−」


 セバスチャンは赤い舌で丹念に、
 シエルの傷ついた体を舐めて癒している。


「謝るくらいなら・・・くっ」

「熱を持っていらっしゃる」

「当たり前だ!馬鹿・・」

「あそこに見える氷で冷やしましょうか?」


 窓の外に、最後の恒星の、
 氷に閉ざされた惑星が見える。


「ああ、いいかもしれない」

「窒素が主成分の氷なので、
 マイナス220度位ですけど」

「馬鹿か! 身体ごと砕ける。
 ていうか、ここはどこなんだ・・・」

「この膨張する宇宙の果て。
 ビッグバン直後にできた、
 最初の星があるところです。

 膨張スピードと、
 私たちが移動している速度が同じなので、
 止まっているように見えるのです。
 あの星が」


 そう言うと、
 セバスチャンは惑星の奥にある、
 青白い恒星を指差した。


「こんな所に何の用がある?
 ただ気分が昂じて、
 気がついたら、
 宇宙の果てまで来てしまいましたとか、
 言うんじゃないだろうな」

「いえ−−ちゃんと目的がありますよ」

「どんな?」

「さぁ、この船を降りましょう」

「降りるって・・・」


 シエルを白いシーツで包んで、
 抱きかかえると、
 セバスチャンはサイドハッチを開け、
 キャビン外に飛び出した。


 スペースシャトルの、
 メインエンジンもOMSエンジンも止まり、
 ただ慣性の法則で光速のまま、
 唯一つある恒星とその唯一の惑星と共に、
 永劫の闇に向かって移動している


「あれに乗って、
 地球に帰るのかと思ってた・・」

「アレが地球に帰っても、
 解体されるのを待つだけです

 それならこうして、
 宇宙と共に永遠に、
 見果てぬ夢を追い続けさせてあげたい」


「壊すぐらいなら・・・か」


 セバスチャンは燕尾服の胸ポケットから、
 一本の白い薔薇を取り出して、
 シャトルに向かって投げた。


「さぁ帰りましょう。用事は済みました」


 シエルはセバスチャンの首に手を回して、
 しっかりとしがみつき、
 星がまた線になって行くのを眺めていた。


 <そのシャトル、葬送>

 カーテンがいきなり開かれ、
 眩しい朝の光が、
 シエルの閉じた瞼を刺激する。
 それと同時に聞き慣れた声がする。

「ぼっちゃん、お目覚めの時間ですよ」


 目をこすりながら、
 やっとの思いで目を開けると、
 朝日の逆光の中で
 優しげに微笑むセバスチャンが立っている

 シエルが寝具をはぐと、
 いつものように白いナイティを脱がせ、
 着替えさせに、
 セバスチャンが寝台に近寄ってくる。


「まさか・・・」

「はい?」

「また・・」

「何がまた−−なのですか?」

 セバスチャンはひざまづいて、
 丁寧にボタンを外しながら、
 不可思議そうに首を傾け尋ねる。

 シエルは身体の感触を確かめるが、
 何も起きた形跡がない。


「あの−−どうなされたのですか?」

「知らんっ!」

 シエルは不機嫌そうに、顔を背けた。


 ・・また夢を見たのか?・・
 ああ、全く嫌になる・・


「ぼっちゃんをわざと、
 気を失わせたのは謝ります。
 だからご機嫌直してください」

 ・・ああ、そうだった、
 僕はこいつに落とされて・・


「どうしてそんな事したんだ?」


 シエルは顔を背けたまま、
 眉を顰めて、
 混乱する頭を整理しようとしていた。


「貴方に私の答えを伝えるために」

「僕は聞いてないぞ?お前の答え・・」

 シエルはセバスチャンの方に向きなおして
 紅茶色の瞳を見つめて尋ねる。


「夢を見られたでしょう?私の答えの夢を」

 セバスチャンは、シエルの柔らかい頬に、
 そっと手を当てて、切なそうに見上げる。


 ・・じゃ、あれはお前が僕に見せた夢!


 −−壊すぐらいなら、
      見果てぬ夢を追い求め−−


「ああ、抱くなら結婚しないとってやつか」

「そっち?
 そっちを覚えておいでですか−−」

 セバスチャンは、
 きょとんとした顔をして言う。


「何だ?その言い草は・・」

「いえ−−
 とにかく着替えてしまいましょう」


 セバスチャンが急にいそいそと、
 服を着替えさせ始めると、
 シエルはむっとしてその手をどけて、
 不機嫌に言う。


「何か気に喰わないっ!」


 セバスチャンは軽くため息をついて、
 シエルの膝に口づけして言う。


「どうすれば、気に入ってもらえますか?」



「挿れられたい」

 シエルはセバスチャンの漆黒の髪をわざと
 かき乱しながら言う。


「こだわりますね−−そこに。
 でもその言い方は正解じゃないのです。

 貴方は私の主。
 私が用意した選択肢の中から
 選ぶ必要はないのですよ、元から。
 オーダーできるのですから」


「では、壊されたいと言えとでも?」


 セバスチャンは、
 膝から太腿への愛撫をやめて、
 シエルの顔をのぞき込む様に見つめて言う


「貴方はそんな事は言ってはいけません」



 −−きっと貴方はなかなか、
 正解にはたどり着けないでしょう。

 愛されたいという言葉は、
 思いつきもしないのでしょう。
 それが、ただ単に、
 身体を愛することであったとしても。

 でもそう言われない限りは、
 私は貴方を壊してしまいます。

 それだからこそ、壊すぐらいなら、
 見果てぬ夢を追い求めましょう、
 二人きりで−−



 セバスチャンは、立ち上がって、
 サイドテーブルに置いた今朝の朝刊を
 シエルに差し出す。

 一面には、
 廃棄処分が決まったスペースシャトルが
 盗難にあって、
 行方不明と大きな見出しが出ていた。


「夢じゃないのか?」


 シエルは、セバスチャンを驚いて目を見開きながら、尋ねる。


「着替えてしまいましょう。
 貴方にお見せしたい物があります」

 そう言ってセバスチャンは、
 シエルに黒いシャツの袖を通させた。



 延々と続く霧の海の中、
 セバスチャンはシエルを船に乗せて、
 漕いでいる。

「ぼっちゃん、あの夢をおぼえているなら、
 サンクトペテルブルグのパラドックスを、
 覚えてらっしゃいますか?」

「ああ、よく意味がわからなかったけどな」

「簡単な事ですよ。
 恐ろしく低い確率であればあるだけ、
 利益が大きくなる賭けがあったとして、
 無限回数試せるならば、
 どんな代償を支払っても参加するべきだ、
 というパラドックスです」

「それがなにか?」

「いえ、なんでも」


 −−あなたが私の望む正解を言う確率は、
 大変低いけれど、
 だからこそ私にとって価値が高いのです。

 もしも貴方がむやみやたらに、
 愛を欲しがる者だったら、
 ここまで正解を望みはしなかった。

 貴方が言わなければ言わないだけ、
 私にとって、
 貴方がかけがえのないものなっていく。

 そして私たちはそれを、
 無限回数試せるのです。

 たとえどんな代償を支払ったとしても−−




 シエルは海を見つめながら、
 セバスチャンに尋ねた。


「どこへ?」

「もうじきに着きます」


 霧が晴れてくると、島が見える。
 島は高い崖に囲まれ、
 島の中央部にはさらに高い岩山が見える。
 島全体は小さく、誰かの所有の
 プライベートアイランドの様だ。

 ・・死の島?・・


 島には港など見当たらないが、
 セバスチャンは構うことなく、
 断崖絶壁に近づいていく。
 もう船頭がぶつかるかと言う程接近した時
 崖はがしーんと音を立てて、
 ぽっかりと口を開けるように、
 船を飲み込んでいく。


「崖は偽装というわけか」

 シエルが呟くとセバスチャンは軽く頷いて
 船をとめた。そこから、
 上部につらなる螺旋階段を上がると、
 崖に沿って建てられた、
 白い階段状の美しい別荘と、
 プライベート用としては大きすぎる、
 プールが見える。


 セバスチャンはシエルの手をとって、
 美しい別荘の入口に案内する。
 
、海岸側が一面ガラスとなった、
 広大で明るいリビングには、
 観葉植物が沢山おかれ、
 壁には現代アメリカ絵画がかかっていた。
 絵画にはそれぞれ、両脇の壁上にハンドルのような物がつけられている。

 セバスチャンはシエルに、
 その絵画の一つの前に立たせて、
 壁についた銀のハンドルを握らせた。

 すると壁はくるりと回転して、
 壁の奥の部屋へ自動的に送り込まれる。

 −5−

 シエルの足元の床が、
 するりと梯子状に伸びて、
 立っているだけで自動的に、
 サイドハッチまで身体を運びこまれる。

 −4−

 シエルが下を見下ろすと、建物三階分以上の高さにいることが分かり、
 シャトルのウイングが鈍い光を放っているのが見える。
 
 スペースシャトルはロケットブースターをつけて、地面に垂直な姿勢で置かれていた。
 既に発射シークエンスに入っている。
 プールの水が引いて発射口が見えてくる。

 −3−

「セバスチャン!!どういうことだ?」

「さぁ、行きますよ」

 後ろに立ったセバスチャンは、
 シエルを抱きかかえて、
 サイドハッチの中に入り、
 フライトデッキのコマンダー席に乗せた。

 −2−

「だからどこに?・・」


 サイドハッチがしまり、
 シャトルは格納庫から、発射台までの
 エレベーターをさがって行く。

 −1−

 そして元はプールだった発射口の真下に移動すると、
 パイロット席に座るセバスチャンが、
 優しく微笑して言った。


「まだ、現実で、
 貴方に指輪を渡してませんから」

− GO −

 メインエンジンが点火して、
 シャトルは爆音と共に、
 大空に向かって垂直に飛立ち、
 凄まじい量の白煙を上げながら、
 大気圏突破に向かった。

 自動操縦に切り替えてから、
 セバスチャンは、シエルの座る席に近づき
 その髪を優しく撫でて、キスをすると、
 シエルはセバスチャンを見つめて、
 唇を寄せた。

<完>



::::::::::::

まさかのサンダーバード黒執事コラボ!

副題は「そのシャトル、葬送」