それは、二人だけの秘め事。



Secret oath



ガラガラと進む馬車の中、目の前の不機嫌な主人を見て、執事はため息をついた。
「・・・坊ちゃん、いつまでむくれているつもりですか?」
「別に、むくれてなんかいない」
声をかけても、返事は素っ気なくしか返ってこない。
きちんとした執事の格好で主人を見ている姿に対し、主人の方は乱暴に足を組み、窓際に寄り掛かって、そっぽ向くように外を眺めているのだ。

「お行儀悪いですよ」
「・・・誰も見ていないから良いだろう」
「私が見ています」
「お前には関係ない」
「そんな事は訊いていません」

執事の最後の一言に、主人はハッと息を呑んだ。
窓の外に向けられていた瞳は、今は執事のそれに向けられている。

「先程、教会の前を通ってから、ずっとご機嫌斜めですね」
「・・・別に」

やっと向けられた主人の視線に苦笑し、執事は話を続けた。
けれど、すぐに主人の視線は伏せられてしまう。


十分ほど前、二人の乗る馬車は教会の前を通った。
教会に大勢の人が集まっていたので、主人が何事かと執事に訊ねると、彼は結婚式ですね、と答えた。
その時からだ、主人の様子がおかしいのは。


(まったく・・・結婚式を見て機嫌を悪くするほど、微妙な年頃でもないでしょうに)

執事は主人に隠れて、再びため息をついた。

この主人は不機嫌そうにしている時に理由を訊ねても、なかなか話してくれない。
それでも態度に出すという事は、本心では理由を聞いて欲しいのだろう。しかし、訊ねてもなかなか言わないとなると、この主人の性格は、かなり意地っ張りの領域に位置する。
結局のところ、主人が折れるまで執事が訊ねる、の繰り返し。
それで主人が満足するなら、少しでも気が晴れるなら、と、執事は今日も訊ね続けるのだ。


「坊ちゃん、不機嫌そうにしている貴方もそそられますが、出来れば私は、貴方の笑顔の方を見たいです」
「な、何を言って」
ですから、そろそろ理由(わけ)を話して下さいませんか?

執事が訊ねながら席を移動し、主人の隣に腰掛けた。
突然狭められた距離にたじろいだ主人は、窓ガラスに頭をぶつけてしまった。
「ッ・・・」
「嗚呼・・・痛かったですね。大丈夫ですか?」
小さく呻いた主人の頭を撫でるついでに引き寄せ、腕の中に閉じ込める。
「・・・大丈夫」
腕の中から小さな声が返され、執事はホッと安堵した。抱き寄せた事で、更に機嫌を損ねるかと思ったのだ。
けれど主人は、執事の腕の中で、子猫のように大人しくしている。
「ねぇ、坊ちゃん。貴方が不機嫌な理由、話して下さい」
ここぞとばかりに執事が訊ねると、主人は軽く身じろいだ。どうやら、話す体制を整えているようだ。

「・・・さっき、教会で結婚式があっていただろう」
「ええ」
「僕には一生縁がないと思った。・・・ただ、それだけだ」


“一生縁がない”
その言葉は氷の刃となり、執事の胸を深く貫いた。
冷たく痛む胸は、まるで悲鳴を上げているようだ。

もし、自分がただの悪魔で執事だった時なら、今の主人の言葉は、さぞ面白かっただろう。
当たり前だと切り捨て、揶揄していたかもしれない。
主人が悪魔である自分と契約した事で、その生は大人になる前に終えられる可能性が、非常に高まったのだ。
きっと、あの幼い婚約者と一緒になる事は叶わない。

けれど、今は?
今は悪魔で執事で、そして恋人なのだ。
そんな自分の前で、結婚式に一生縁がないと言われると、さすがに悪魔でも胸が痛むというもの。
そのような言葉を言わせてしまうほど、信用がないのか、とも思えてくる。
もっとも、儀式的な意味で考えると、どちらも新郎になるので、式は成立はしないだろうが。
新婦のいない結婚式など、聞いた事がない。

(・・・そういえば)

ふと、大昔に聞いた話を思い出した。
主人の好む類の話ではないが、言わないよリは、少しはマシかもしれない。

執事は主人の手を取り、真っ直ぐに彼の瞳を見つめた。
深い森を映した海のようなその色は、悪魔でさえも魅了する。

「坊ちゃん、こんなおとぎ話をご存知ですか?」
「おとぎ話?」
「正確に言うと、おとぎ話のような伝承・・・でしょうか」

主人は興味を抱いたようで、視線を逸らすことなく、執事を見ている。

「愛し合う二人が、どうしても結婚を許されない時、どのように誓いを立てるのか。どのように誓いの儀式を行うのか・・・。
二人が共有しているものに、誓いの口付けを贈り、愛の言葉で誓いを交わすのです」
「共有しているものとは?」
「私と貴方の場合で言うと、契約印ですね」

執事が手袋の上から、契約印のある甲を、反対の手の指でトントンと指した。

「じゃあ、僕がそこにキスをして、お前が僕の左目にキスをすれば、儀式は整うという事か?」
「そういう事になります。さすがは坊ちゃん。ご理解が早くて何よりです」

にっこり笑顔を向けると、うっすら頬を染めて唇を尖らせる。これは、照れている時に見せる、主人特有の表情だ。

「では、私から」
「は?え・・・っておい!!」
「何でしょう?」

頬を両手で包み、身を乗り出してきた執事を、主人は両腕を突っ張って止めた。
大層必死な顔の主人とは反対に、執事はキョトンと首を傾げている。
「私から、って何だ」
「もちろん、私から坊ちゃんの契約印に口付けを贈る、という意味ですが」
何かご不満でも?と訊けば、大きく頷かれた。
「僕の契約印に口付けを贈るって、それは、つまり・・・」
「つまり、結婚の儀式、という事になります」
サラリと言ってのけた執事の胸を、主人はポカポカと殴った。小さな力なので、執事には痛くも痒くもない。

「そんな事を、今この場で普通するか!?」
「今この場だから、ですよ」

猶も殴ろうとする主人の細腕を掴み、執事は真面目な顔で彼を見やった。
瞳の紅茶色の奥に、赤色がチラチラ見え隠れする。
紅茶色に赤色が入り混じるこの瞬間が、主人は好きだった。

「貴方は、結婚式というものが、自分には一生縁がないとおっしゃった。貴方を愛する私としては、そんな事を言わせたままにするなんて、出来ませんよ」
私は、悪魔で執事で、坊ちゃんの恋人ですから。

瞳は紅茶色に戻り、優しく音が紡がれ、主人の胸は甘く締め付けられてしまった。
執事の優しい音が、自分の胸の不穏な音を、絡め取ってくれている。
その和音は、とても心地良い。

「・・・この小さな馬車(はこ)の中で、二人きりの儀式というのも・・・悪くないな」
「坊ちゃん・・・」

あの光景から、やっと見られた主人の笑顔。それは、照れを含んでいるものの、嬉しそうなものに変わりはなくて。
執事は、その表情を脳裏に焼き付けようと、逸る気持ちを抑え見つめ続けた。



しばらく主人の笑顔を堪能した後、執事は彼の眼帯の紐を解いた。朝の着替えの際に自分が結んだそれを、こんなにも早く解く時が来るなど、何だかおかしな気分だった。
解けた眼帯が主人の膝に落ちるが、執事はそれを気にも留めず、主人の艶やかな前髪を梳き、隠れた右目を露わにする。

「では、坊ちゃん・・・目を閉じて」
「ん・・・」

ゆっくりと、瞼を下ろす主人。
緊張からか、瞼は少し震えており、その仕草が自分への想いだと感じた執事の胸は、愛しさで満たされてゆく。
その愛しさを、下りた瞼の上に、口付けとしてそっと落とした。
瞼が上がり、主人の契約印が見える。

「・・・今度は、僕が」
「はい、お願いします」

執事の左手が差し出され、主人がぎこちない動作で手袋を外す。
現れた手は、主人の小さく細いそれとは異なり、男らしく骨ばった大きなものだった。
爪は、悪魔の証である黒に染まっている。

主人はそっと執事の手を取り、契約印のある甲へと口付けた。

「私、セバスチャン・ミカエリスは、病める時も健やかなる時も、シエル・ファントムハイヴを愛し、他の誰にも渡さないと誓います」

執事の自己流の誓いの言葉に、主人はクスリと笑った。
(ならば僕も、自己流で返さないとな)

「僕、シエル・ファントムハイヴは、病める時も健やかなる時も、セバスチャン・ミカエリスを愛し、いつまでも僕のものである事を誓います」

主人の自己流の誓い文句に、執事もクスリと笑った。

「何ですか、それ」
「お前の方こそ」

たった今、愛の誓いを交わしたとは思えないような笑みを浮かべ、二人は笑った。
馬車は、もうまもなくファントムハイヴ邸に到着する。

「この伝承なのですが」
「?」

ひとしきり笑った後、執事がポツリと言った。

「大昔、悪魔と契約した人間がいて、その二人が恋に落ちたそうです。しかし、互いに種族が違い、相容れぬ存在・・・当然、結婚なんて出来ません。けれど、それでも二人の愛は途切れることなく続き、せめて自分たちの繋がりに誓いを立てようと、先程の儀式を行ったそうです」
「それが、この儀式の起源か?」
「そう言われています」

本当におとぎ話だな、と思う。
それでも、少なくとも自分は、この子供染みた儀式で救われた気持ちがあるのだ。その大昔の二人に、感謝したいと思う。

「その二人は、誓いの後どうなったんだ?」
「・・・最期まで、幸せに暮らしたそうです」
「そうか・・・」

ああ、またしても、彼らの運命に救われてしまった。
自分には明るい未来などないと思っていたのに、死をもたらすはずの悪魔に愛を注がれ、今はこうやって誓いを立てるまでの関係になったのだ。
例えこの生が短くとも、最期まで生きれば、幸せを感じる時間が沢山あるだろう。

(感謝する・・・)

誰かは分からないが、その二人に。
そして、目の前の悪魔に。


「僕は、お前を手放さない」
「それはそれは・・・嬉しいお言葉ですね」

執事は主人を引き寄せ、薄く色付いた唇にキスを落とした。
それは儀式を締め括る誓いの口付けとなり、二人の誓約はこれで成立。


馬車が、屋敷に到着した。
扉を開けば、二人にとって新しい世界が広がっている。


新しい、未来が。



END



【あとがき】
たまには、こんな幼稚なおとぎ話があっても良いかな〜と思いまして^^;
もっと可愛いお話になる予定だったのですが、何故か予想外の方向に・・・。
読んで下さり、ありがとうございました!
良野りつ