「お帰りなさいませ、坊っちゃん。私にします? 私にします? それともワ・タ・シ?」
「食事にしてくれ」
「ワ・タ」
「食事にしろ」
「…………」


私の旦那様は、本当にツンばかりで困ります。嗚呼、もしや新たな門出に照れていらっしゃるのでしょうか?

何せ私たちは、

結婚

したのですからね!



あくまで結婚!



悪魔の私が坊っちゃんと契約し、早三年。
アニメ黒執事で世の紳士・淑女の皆様からご好評を頂いた私達の元には、クランクアップ後直ぐに黒執事Uのオファーが来ました。

U期は、約一年という準備期間を経て放映。私の坊っちゃんへの想いが前回よりも丁寧に描かれていたこと、これは大変良かったでしょう。演技にも熱が入るというものです。
しかしそれ以上に作中では、クロードさんにアロイス様、ハンナさんまでが私の坊っちゃんにべたべたべたべたと――本当に、腸が煮えくり返るかと思いました。

それでも仕事と言われれば、その身を投げうることもいとわない坊っちゃん。立派に役をお勤めになりました。

しかしその間私が、どんなに歯痒い思いをしたことでしょう。
私の坊っちゃんが、撮影とは言え他の者に良いようにされる。ハンカチーフを噛みしめ、枕を濡らした夜は数数えきれません。

そこで私は、はたと気付いたのです。
これは契約以上に強く、私たちを縛るものが必要だと。ストレートに言えば既成事実を作って逃すな! 私の旦那様作戦です。

坊っちゃんは照れながらも、私のプロポーズを快諾して下さいました。
あの時の表情といったらもう――私の長い悪魔の生の中でも、最も幸福な日であったことは言うべくもありません。

恐らくお気づきのお嬢様も多かったことと思いますが、最終話のカード? あれは私たちの結婚式の招待状です。何故か作中では修正が入っていましたが。間違いなくあれは、私達の結婚式の招待状でした。

あれから数ヶ月。6月、大安吉日、最高にお日柄の良い日に私たちは森の小さな教会で、ひっそりと挙式しました。

リンゴーンと鐘の鳴り響く中皆に祝福され、晴れて私は坊っちゃんのお嫁さん! 嗚呼何て素敵な旦那様! 良きかな結婚! と思ったわけですが……。


変化が、無い。


その後一応、前以上に同じお部屋で過ごすようにはなりました。主人の部屋に入り浸るなど執事の美学に反するとは言え、そこはあくまで夫婦ですから。嫁ですから。

でも帰宅後の定番台詞に私を求めて下さったことは無いですし、裸エプロンをした日にはまるで虫けらを見るような瞳で私をご覧になりました。
YES・NO枕は常に私がYESで坊っちゃんがNO。いってらっしゃいのチューにはビンタが飛んできます。

こんなことって有り得ますか!?
私たち、新婚ほやほやの夫婦なのに! 中身は熟年離婚寸前です!

それでも、愛する坊っちゃんに三行半を叩き付けて里帰りなど出来るはずもありません。
せめて夜の営みだけでもしっかりしたい……。そう思いながら私は、必死で打開策を考えました。







「……で、それでアタシにどうしろって言うのよセバスちゃん?」


これは新婚早々離婚の危機かしら!?
とにやつくのは、赤死神ことグレルさんです。

ひっそりとして、人気は無い。こっそり忍び込んだ死神派遣協会の一室で私は、ため息を吐きました。


「馬鹿なことをおっしゃらないで下さい。私と坊っちゃんが離婚だなんて、ありえません」
「あら、じゃあ何かしら?」
「その……噂を聞いたんです」
「噂?」


それは死神の鎌でも刈れなかった魂が協会内で保管されているという、ほとんど都市伝説のような噂でした。
肉体を失った魂は、片割れとしての生きた肉体を求めさ迷う。普通ならば刈り終えた時点で魂の行く末は決まっていますが、あまりに未練が強すぎるとその道を外れてしまうことがある、と。


「――やあね、流石悪魔のセバスちゃんと言ったところかしら」
「では、」
「いい、これは危険なのよ? 強い未練を持った魂は、その想いを遂げるために生きた人間を利用するの。先客なんて関係なしだわ。無理矢理入り込んで身体を乗っ取って、」
「成る程……」


私はグレルさんの言葉に、ほくそ笑みました。これこそ私の欲しかったものに、間違いありません。


「やだんセバスちゃんのその微笑、し・び・れ・るゥ〜!! もうあんなガキどうだっていいじゃない! こんな辛気臭い話より、今すぐアタシといけないアバンチュールを……」
「ふぅ、まあそれも良いかもしれませんね」
「んもう、セバスちゃんったらホントお堅……ってえ゛ぇーーーー!!!」


……今、完全に男性の声でしたね。


「私達新婚なのに、坊っちゃんは全く相手をして下さらないですし? 正直溜まってるんですよね。私」
「ヒッ、ヒドイわセバスちゃん、そんな言い方…。まるで性欲処理みたいな……大人のビジネスライクな関係みたいな……そんなの、そんなのって」


燃えるじゃない!!!

私は勢いをつけて、唇めがけて飛び付いてきた顔面をギリギリと止めました。片手で。


「貴方もあの堅物死神に知られたら困るでしょう? だから、大人のアバンチュールは絶対に誰も訪れない場所にしたいんです。――例えば、ほとんど人が訪れない重要機密が保管されている部屋、とか」







爽やかな風が屋敷を通り抜ける、6月某日。
シーズンを迎えたローズガーデンのスターリングシルバーは重厚な芳香を漂わせながら、ファントムハイヴの屋敷を彩っていました。


昼食の時間、坊ちゃんは、私に横抱きにされた状態で食堂に足を踏み入れました。
私の首筋に腕を絡め、うっとりとこちらを見つめる坊ちゃん。

愛しい愛しい、私の坊ちゃん。


「食堂に到着しましたよ、坊ちゃん。降りて下さい」
「……やだ。せばすちゃんの膝の上じゃなきゃ、食べたくない」
「おやおや坊ちゃん、いくら私のことがお好きだからと言って我侭はいけませんよ」
「わがままじゃないっ!」


ぎゅう、とまるで赤ん坊のように、私に抱きつく坊ちゃん。
やだやだ、もうミカエリスカンゲキ!!

広い食堂に足を踏み入れた時から、使用人たちはざわざわと、まるでこの世のものではないものを見るような目で坊ちゃんを見ています。
主人を相手に、拾い食いでもしたんじゃ…などと失礼なことをのたまう始末。

でもまあ、あながちそれも間違いではないのかもしれません。


それは遡ること、数時間前。
今朝のことです――…。




「お目覚めの時間ですよ、坊ちゃん」


私は主人の起床の時刻に合わせて、寝室の扉を叩きました。
まっさらな夜着の裾から艶やかな脚を露にする、悩ましい坊ちゃん…を横目に、さっさとアーリー・モーニングティーと朝食を用意します。


「お待たせ致しました、坊っちゃん。本日は昨夜インドから届いたアッサムをご用意致しました。少々こくが強いので、普段よりミルクは多めでどうぞ」
「ん」


私は温かな紅茶を手渡すと(ばれていないとでも思っているのでしょうか、)ほんの少しだけ頬を緩ませる愛らしい旦那様を見つめる。
寝癖でぴょんとはねた前髪を整えながら、ティーカップに近づく瑞々しい唇を見つめる。見つめる。


「……何だ」
「はい?」
「その血走った目は何だと訊いている! こんな状態で飲める訳がないだろう!」


おっと……私としたことが、これはまずいですね。


「別に何も? はい、ふーふー。どうぞお召し上がり下さい」
「だから、」
「ほら、あーん」
「んく!」


無理矢理カップを傾けると、しぶしぶと言った様子で嚥下する坊ちゃん。


「んあ………?」


細い喉がこくり、上下に動いたかと思うと、坊ちゃんはくるくる目を回して倒れました。

人間の魂は、エネルギーの集合体です。
そしてこの紅茶にはまさしく、グレルさんをたぶらかし死神派遣協会から持ち出したある人間の魂――「愛情に飢えた満たされない魂」が入っていました。

寂しさ故の、ちょっとした、出来心だったんです。
最近大した事件もありませんでしたし。


――そんな訳で今日の坊ちゃんは、大変可愛らしくあらせられます。



望み通りお膝の上に乗せて差し上げると坊っちゃんは、この上なく嬉しそうに微笑みました。


「ん、せばすちゃん! ぼーっとするな、はやく食べさせろ!」
「はいはい、」
「それじゃなくて…それだ、はやくっ」


食べさせてもらうのが当然と言わんばかりに、
まるで雛鳥のようにピーピーと鳴きながら口を開ける坊ちゃん。
可愛らしい頬を染め、私の手から食事をする愛しい愛しい旦那様。


「ん、おいしい…セバスチャンのごはん、好き……」


坊ちゃんのその言葉にまさしく、屋敷内に衝撃が走りました。
あの坊ちゃんが、好きだと! 私(の作った食事)を好きだと!!!

脇に控える使用人たちも、これは何事かと言い合います。

そう、彼らも勿論私たちの結婚を知っていましたが、今日まで新婚らしいムードなど皆無だったのですから。


坊ちゃんは正気に戻ったら、私をお叱りになるでしょうか?


でもとりあえず今は、素直な坊ちゃんを前に夜が楽しみで楽しみでなりません!!!







その後坊ちゃんは、一日私に大いに甘えてお過ごしになりました。

午後は絵本を読み聞かせて差し上げて、屋敷内は私の抱っこで移動。
使用人に隠れて軽いキスをねだるその表情の、なんと愛らしいことでしょう!!

私は今、替えの蝋燭を用意しスキップしそうな勢いで坊ちゃんの寝室に向かっています。

というのも先程のバスで、坊ちゃんのお許しが出たからです!


『あの、坊ちゃん…勝手ながら明日の午前の予定は、午後に移しています。ですからその…今夜は……』
『ん、分かってる。僕もセバスチャンと……その………』
『坊ちゃん!』


アーッもう坊ちゃん坊ちゃん!!
久々の夫婦の営みに、あまりに楽しみで胸が震えます。

それにこの素直な坊ちゃんのご様子ですと、あんなアクロバティックな体位からこんなアブノーマルプレイまでお付き合い願えるかもしれません!

嗚呼、いけませんね。妻である私が、こんなみだらなことを考えていると旦那様に知れては――。

私は必死で緩む頬を引き上げると、扉をノックしました。


「失礼致します、坊ちゃん」
「ばか…おそいぞ……」


薄暗い燭台の下シーツを引き上げ、恥ずかしそうに頬を染める坊ちゃん。
私にはその肩が確かに、剥き出しであるのが見えました。


「えぇっ坊ちゃん、まさかもう……」
「〜〜っ言うな! 待たせるお前が悪いんだ…もう、早く……」
「坊ちゃん!!」


私はもう、辛抱たまらん! と言った様子で坊ちゃんに飛びつきました。
潤む瞳を見つめ、口付ける。

唇を離し、その柔らかな頬に指を滑らせもう一度口付ける。


「んっ……!?」


そうして、坊ちゃんの唇に舌を滑り込ませると、逆に絡め取られました。
思わず、おかしな声が出てしまいます。


「せばすちゃん、大好き……」
「わ、私もです、ぼっちゃ…ンっ、」


今度は坊ちゃん自ら隙間に舌を差し入れると、踊るように舌を絡ませてきます。
そのままきつく、吸い抜かれる。

あれ…何だかこれおかしくありません?
歯列をなぞり唾液を嚥下しながら、舌を動かす坊ちゃんの動きは完全に玄人のものです。

しかもその間に気がつけば、テキパキと私のシャツを脱がせていきます。


「きもちいい…セバスチャン、もっとちょうだい…」
「あっ」


言っていることも、その仕草もなにもかもが素敵に愛らしい坊ちゃん。
しかし露になった私の胸に吸い付き、時々歯を立てながら敏感な場所を転がす坊ちゃん……。


「くっ……」


いえ、嬉しいのですよ!?
積極的な坊ちゃんも新鮮で、実に良いではありませんか。

それに私はあくまで妻。坊ちゃんの命令には何でも従うつもりです。

ですが……ですが、私の臀部を揉みこむ小さな手。
これは、つまり――。


「ストーップ!! ここまでです坊ちゃん!」


途端に眉を寄せ、不機嫌を露にする坊ちゃん。

べ、別に坊ちゃんに抱かれるのが嫌な訳ではありませんよ!?
ただここまで坊ちゃんのために守り抜いてきたバックヴァージンを、このような状態で本当に良いのかと…それに、まさかの展開で……。


「なんだうるさいな、つべこべ言うな! お前は僕の妻だろう、口答えするなっ」
「ですがほら、坊ちゃんは今正気じゃないですし……」
「はあ!? その僕をどうこうしようとしていたのはどこのどいつだ! いいから黙ってやらせ……」


――ぱたり。


おっと、ちょっと聞きたくない言動が聞こえそうになり、つい手が出ました。
ほとんど反射的に頸部に手刀を入れると、ぱたりと倒れる坊っちゃん。


「すみません坊ちゃん、つい手が出て……ほんとその、すみません………」


執事兼妻にあるまじき行為に、私は手をつき深々と謝罪しました。







その後ウィリアムさんにけしかけられたのでしょう、泣きながらやってきたグレルさんに私はあっさりと魂を引き渡しました。

坊っちゃんはもうすっかり、元通りです。


やっぱり、身体を乗っ取られた坊っちゃんなんて坊っちゃんじゃありませんよね!
私ったら妻失格です、どうかしていました。

ということで正気に戻った坊っちゃんに、謝罪を。


「坊っちゃん、その…先日は…」
「知らん!!」
「え」
「き、記憶に無いっ。もういいから、何も言うなっ」
「えー……」


そこまで言うと、くるりと椅子を回し背を向けてしまわれる坊っちゃん。
でも私は、確かに見たのです! 坊っちゃんのお耳が、真っ赤に染まっているのを!!


「その……僕はお前のプロポーズを受けたんだ。それは、そういうことだろう? お前が不安になることなんて、何もない」
「坊っちゃん……」


嗚呼、私の旦那様はなんて漢前なのでしょう!!
このセバスチャン・ミカエリス、貴方に一生ついていきます!


「坊っちゃん、大好きです。私は間違っていました。やはり、そのままの貴方が一番です」
「……言ってろ」


嗚呼、なんて素敵な旦那様! 良きかな結婚!!


私は椅子ごと、ぎゅっと坊っちゃんを抱き締めました。


fin.