癖というのはなかなか治らないものだ。
自分の髪を触るだの、親指を噛むだの、癖というものはもう自分の無意識下で行われているもので、やめようとするには、やめようと意識をしないといけない。
その癖が生まれる原因の1つとしては、その行動が日々繰り返されていたからというものもあるだろう。
当たり前になってしまったこと=癖と考えてもあながち間違えでは無いのかもしれない。
人生の中で何度も何度も繰り返し行われてきたことが癖にならない方が難しいのだ。
だから人間誰しも癖の1つや2つ、持っているだろう。
もしかしたら自分も、ましてや他人も気が付いていない癖が。

しかし僕の場合。
その癖は自分も、ましてや相手も気が付いている。


― 素直じゃない二人 ―


「やはり気になりますか」

シエルの癖を見逃さなかったセバスチャンは苦笑しながら声を掛けてくる。
目敏い相手にシエルはため息をついて、撫でてしまっていた親指から手を離した。

「別に。ただ何となくだ」
「何となく、と言う割にはいつもそこを触っておられますよね」
「・・・仕方ないだろう。三年間ずっとしてきた仕草だ。急にやめろと言われてやめられるわけがない」

腕を伸ばして自分の手の平、否、親指を見て自嘲するかのように哂う。
そこには黒い爪が輝き、真っ白く細い指が鎮座している。そこに何の飾りもなければ、指輪だってない。

「置いてこずに持って来れば宜しかったのでは?」
「嫌味かそれは」
「さぁ、貴方の判断にお任せします」

ニッコリと微笑むセバスチャンにシエルは舌打ちをしながら、先ほどまで眺めていた外に視線を戻す。
置いてこずに持って来ればよかったなんて、どの口がほざいているのだろうか。
もう自分はシエル・ファントムハイヴという人間では無く、そして女王の番犬でもない。
あの指輪を持ってくる意味も無ければ、持っていたいとも思わない。
が、いつまでたっても親指を撫でる癖が抜けないからセバスチャンは嫌味を言ったのだろう。
それか・・・。

シエルは窓際に座ったまま力を抜き、頭をコテンと枠に預ける。
外には海があり、潮の匂いが混じった風がシエルの頬を撫でていく。
それは心地いいものだが、どこか今の自分の穴が開いた部分を錆びさせていくようで痛みを感じてしまう。
(女々しいな、いつまでも)
悪魔になれば感情も消え去るのかと思っていたが、どうやらそんなこともないらしい。
いや、もしかしたら自分は人間から悪魔になった“異端”なので、本来ならば消え去っているものなのかもしれない。

「坊ちゃん」
「なんだ」

変わらず背後に立つセバスチャンの声に投げやりな態度で返事を返せば、相手から提案が差し出された。

「新しい指輪を付けたら如何ですか?」
「新しい指輪・・・?」
「えぇ」

眉を顰めながら目線だけをセバスチャンに向ければ、セバスチャンは口元に弧を描いたままこちらへと近づき、シエルの前で膝をつく。

「そうすれば指輪がない指を気にすることも無いかと」
「別に指輪をすることに拒否は無いが・・・」

指輪をすることは別に構わない。
自分を飾り立てることに興味はないが、指輪を嫌がる理由もないのだから。
だが、正直。
あの指輪の代わりに他の指輪をする、というのは何だか気に食わない。
もうあの指輪も捨てて親指は軽くなったというのに、新たな指輪をしたことで、まだ自身があの指輪を気にしてしまっていることを目に見えて確認するような気にもなるのだ。
それに。
(わざわざ親指という妙なところに別の指輪を嵌めるというのも可笑しな気がする)
そう思い提案を渋っているとセバスチャンはこちらの思考を読んだようで、シエルの左手を取りながら「ご安心ください」とクスリと笑った。

「親指ではないところに指輪を嵌めましょう」
「別の指に?」
「えぇ。たとえば」
こことか。

そう言いながら触れた指は。
左手の薬指。

「・・・・・・・・は?」

その指を触れさせた状態のまま、シエルは眉を顰めたまま首を傾げた。
左手の薬指に指輪を嵌めるだなんて。
この悪魔が自分で遊ぶことに関してはいつも怒りを覚えるけれど、今回は怒りを通り越して呆れてしまった。

「貴様、どれだけ僕を嘲笑いたいんだ」
「嘲笑いたいだなんてとんでもない。私はいつ如何なる時も本気ですよ?」
「じゃぁ、本気で左手の薬指に指輪を嵌めろと?随分とつまらん嫌味だな」

もう付き合ってられん、とシエルは再び窓の外に視線を戻そうとすれば。

「冗談でも嫌味でもないですよ」
「うわ・・・・?!」

グイと掴まれていた手を引かれ、身体がセバスチャンの胸元へと倒れていく。
もう片方の手で窓枠に手を掛け身体を支えようとするが、その前に抱き寄せられ、身動きが取れなくなってしまった。

「ちょ、セバスチャン!」
「私が貴方に指輪を贈ります」
「はぁ?!」

言われた言葉に驚き目を見開いて相手を見つめれば、酷く楽しそうな顔が瞳に映りこむ。
誰が誰に指輪を贈ると?

「貴様言っている意味が分かっているのかっ」
「えぇ。分かっておりますよ」

セバスチャンはそのまま掴んでいる左手を口元へ近づけ、薬指にチュッと口付ける。
それにシエルはビクリと身体を奮わせ、頬を染めながら「離せ!」と叫ぶが、「嫌です」の一言で一刀両断された。
抱きしめられたことは何度もある。勿論それは主人と執事として、または契約者と悪魔として。
しかし今はそのどちらにも当てはまらないような気がして、シエルは早くなる鼓動を感じながら、セバスチャンから逃れようともがく。

「そんなに嫌がらなくてもいいじゃないですか」
「嫌がるに決まっているだろう!こんな、ワケの分からない・・・」

頬を赤く染めたままシエルは無意味に首を横に振った。

左手の薬指に指輪を贈る。
イコールそれは“結婚してください”ということ。
(なんで、そんな・・・っ)
一体セバスチャンが何を考えているのか全く分からない。
ただの冗談や嫌味なら分かる。
いつだってコイツは嫌みったらしくて、自分との間には喧嘩が耐えないのだから。
けれど。

―――冗談でも嫌味でもないですよ

彼はそう言ったのだ。
嘘をつかない彼が。

「べ、別に親指を気にしてしまうのを紛らわす為にする指輪なら、薬指じゃなくてもいいだろう」

今のワケが分からない状況を何とかしたくてシエルは別の方向へと流してしまおうとするが、セバスチャンはそれを許さない。

「そういう意味で言っているわけじゃないと、分かっていますよね?」
「・・・ッ!」
「お子様な坊ちゃんの為にストレートに言いましょうか」

それにビクリと身体を奮わせる。
(あぁ・・・来る)
どうしてそんなことを思うのか分からない。
だがなぜかセバスチャンからこれから言われるであろう言葉は、どこかでいつか言われるような気がしていた。
それでも、それをずっと知らない振りをしていた。
聞きたくないと耳を塞いでいた。
だって聞いてしまったら、きっともう。

逃げられない―――


「坊ちゃん」

いつもと同じ声で呼ばれる同じ名前。
けれど赤く煌いている瞳は、いつもよりも真摯で。
シエルの左手を取り抱きしめたままセバスチャンは、

「結婚してください」

そう言った。



室内に沈黙が広がる。
先ほどと同じように潮風が頬を撫で髪を揺らすが、シエルの意識の中には入ってこない。
今シエルの世界には目の前にいる悪魔と、その悪魔が言った言葉しかないのだ。
それ以外を認識する余裕などどこにもない。

一体どれぐらい二人は見つめ合っていたのだろうか。
沈黙が破られたのは、シエルの震える小さな声だった。

「・・・本気、か?」
「はい」

セバスチャンは頷く。
嘘はつくなと命令してあるし、それに。
この瞳を見て嘘だと思える奴がこの世にいるだろうか。

「・・・じゃぁ、お前は・・・」
「坊ちゃんを愛しておりますよ」
「〜〜〜〜〜ッ!!」

その言葉に一気に身体中に熱が広がる。きっと顔も真っ赤になってしまっているだろう。
シエルは逃げるように顔を自らセバスチャンの胸板に埋めれば、クスリと笑う声が耳を擽った。

「坊ちゃんは私の気持ちに気付いておられるかと思っておりました」
「気付くか馬鹿ッ!」
「おやおや・・・」
では順番を間違えてしまいましたね。

そう言いつつも、クスクスと笑う声が絶えない。随分とご機嫌なようだ。
こちらはこんなにも掻き乱されているというのに。
それにまだプロポーズの返事だってしていない。

「随分と余裕だな」

少しでも自分のペースを取り戻すべく嫌味の一言を言ってやるが、セバスチャンは平然と、そうじゃない、と答える。

「坊ちゃんが随分と可愛らしくてつい」
「はぁ?!」
「人間の頃も、そして悪魔となった今も、私のことで坊ちゃんが焦ったり恥ずかしがったりした様子をあまり見たことがありませんでしたので」
「馬鹿か貴様はッ」

自分のペースを取り戻すどころか余計にまた恥ずかしい言葉を吐かれ、結局また振り回されてしまう。
(くそっ・・・)
恥ずかしさで死ねそうだと唸れば、セバスチャンは掴んでいた左手を離し、その手で今度は顎をクイっと上に向けさせる。
その自然な動作に抵抗する間もなく、真っ赤に染まった顔をセバスチャンに曝してしまう形となってしまった。
それに再び嫌味やら文句やら言ってやろうと口を開くが相手の方が一歩早く、こちらの言葉を奪ってしまう。

「それで、坊ちゃんの返事は?」
「うっ・・・」
「プロポーズしたのですから、返事をするのは当たり前でしょう?」

呆れるような表情に一瞬本気で殴りたくなるが、まだ抱きしめられた状態で自由が利かないので睨み付けるだけで我慢する。
それにセバスチャンは対抗するように口元を吊り上げるが、その瞳はプロボーズした時と同じ真摯で。
どこまでも本気なのだと、思い知らされる。

そしてその瞳にゾクリとした快感が背中に走ったことも。
そして、やはりもう逃げることが出来ないということも。

自分が自分自身に思い知らされた。


「セバスチャン」

シエルは相手を睨みつけたまま名前を呼ぶ。
きっと自分の瞳も赤色に染まっているのだろう。けれど相手はその瞳を見つめたまま逸らそうとはしない。

「お前の癖って何か知っているか?」
「癖、ですか?」

返事とは違う話しに驚いたのか、若干瞳を大きくしながら首を傾げる。
それにシエルは笑いながら頷いた。

「お前が僕に何か本気で伝えたいことがあると、まずは僕に嫌味を言ったり試すようなことをするんだ」
「・・・そう、ですか?」
「まぁ、ただ嫌味を言う時もあるがな」
「あまり意識したことありませんでしたね」

ムスッとしたような声で言うセバスチャンにシエルはまた笑い、コツンと額と額を合わせた。
そして相手の顔を見ないように目を閉じる。
これから言う言葉は相手の顔を見てなんて言えるわけがない。
一回だけ大きく深呼吸をして、そして。

「僕じゃなければ、きっと嫌味を言われた時点でその後にお前が言う言葉なんて聞こうとしないだろう」

僕じゃないと、お前の本音には辿り着けない。

「だから、仕方ないから、その。お前の傍にいてやる・・・」

小さな声で、返事を返した。






「つまりは、どういうことですか?」
「え」

まさか今の返事にそう返ってくるとは思わず、伝わらなかったのか?!と若干焦りながら瞳を開ければ、酷く嬉しそうな表情のセバスチャンが映る。
(全部分かっているだろうがッ)
シエルはビシッと何か亀裂が入ったような音がどこかからか聞こえ、口元をヒクヒクと引きつらせながら

「ゴンっ」

合わせていた額を引いて、頭突きをかました。

「っ〜〜〜〜〜!!」

構えていなかったところに本気の頭突きをくらったセバスチャンが痛そうに表情を歪ませたのを、シエルは痛みで潤んだ瞳で見て笑い「つまりはなッ!」と叫ぶ。

「貴様のプロポーズを受けて立ってやる、ということだ!」
「〜〜〜〜・・・貴方という方は本当に・・・」

僕も愛している、ぐらい言ったらどうですか。

そう文句を言った後、そのままセバスチャンの唇がシエルの唇に重なった。
一瞬なにが起こっているのか分からなかったシエルだったが、口付けられていると理解した直後、相手を殴ろうと手を伸ばすけれど。

―――坊ちゃんを愛しておりますよ

伸ばされた腕は相手を殴らず。
代わりに相手の首に回して。

セバスチャンの欲しがった返事を、唇で返した。




素直に伝えられないから

という名の言い訳で

大好きな君に

プロポーズ!






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もう公式でも結婚してても不思議ではない二人なので、
一体どんなものを書こうかと色々と迷いました(笑)
が、結局二人の普段の生活の中で普通にプロポーズをするという、
なんともストレートな文章となりましてorz
セバスチャンが指を触る癖についてシエルに指摘したのは
元々プロポーズをしようと決めていたからなんですww
素直じゃない二人を見ているのはとても楽しかったです(笑)
最後まで読んでくださって、ありがとうございました!