幸せなんて、もう無いと思っていた。
ここまで汚れてしまった自分には不似合いで、その幸せを願うことすらも罪になるような気がした。
けれど。
「坊ちゃん、私と結婚してください」

その言葉を聞いた時、どれほど嬉しかったことだろう。

契約を飛び越えて。
人種を飛び越えて。
彼は僕を求めた。
それはどれほどの奇跡なのだろうか。






「なぁ、セバスチャン」
「はい」

お互い白い衣装を纏いながら、小さな教会に二人きり。
この場所はすでに捨てられ、後は朽ちていくのを待つばかりの場所だ。
けれど天井からステンドグラスの色が降り注ぎ、寂しい美しさを生み出している。
そんな場所で二人きりの結婚式。
なんとも僕たちらしい。

「僕でいいのか」

いつもの黒色を纏っていない悪魔に、シエルは何度目かの質問を投げる。
何度確認したって足りない。
だって自分は人間だ。
いつかは消える。

そう、いつかは消えるのだ。

しかし彼は幸せそうに「はい」と頷いた。

「私は貴方がいいのです」
「だが…」
「では貴方は?」

もう次は何を言われるのか分かっているのだろう。
セバスチャンはそれを先に遮り、シエルと同じ問いかけをする。
自分と違うところは、彼からのその問いかけは初めてだったというとこだ。

「貴方は私でいいのですか?」
「…よくなければここにはいない」
「私も同じですよ」

シエルの答えに安心したように微笑み、抱きしめた。
その腕は冷たく、自分とは違うものなのだと全身で感じさせられる。
だがその腕は絶対的な幸せをシエルに運んでくる。
もう得られないと思っていた幸せを。

「ねぇシエル、私と幸せになりましょう」

セバスチャンは言う。

「これからの運命がどんなに過酷なものであっても、私は必ず貴方のお傍におります。貴方をずっと、永遠に愛することを誓いましょう。私が幸せになるには、貴方が必要不可欠なんです」

だから。

抱きしめている腕の力を少しだけ緩め、赤い瞳がシエルを見つめる。
そこには愛しさとか、嬉しさとか、そして寂しさとか。
そんな感情が混じった瞳で、セバスチャンは微笑んだ。

「私と結婚してください」


「…ばか」

小さくそう呟けばセバスチャンはクスリと笑って。
捨てられた教会に住んでいる神様の前で口付けた。

見せ付けるかのように。
この愛は本物だと言うように。
永遠を、望むかのように。

シエルはセバスチャンの首に腕を回し、もっともっとと彼を強請った。


きっとこれは罪だ。
誰からも祝福されず、そして神を冒涜するような行いだろう。
僕は悪魔を呼び出しただけではなく、その悪魔と恋に落ち、結婚までした。
それは普通の人間からしたら、どこまでも堕ちた…滑稽な人間に見えるだろう。
だが、自分はそれでもいいのだ。

いま彼が目の前にいて微笑んでいる。
それで十分だ。
この1つの奇跡でもう十分。

だから。
この悪魔が幸せになりますように。
自分を全てあげるから。
自分がいなくなった後も、どうか。


どうか…―――


口付けをしながら、祈る。
けれど。

その願いはどこに?
一体誰に?

この教会で口付けている二人を見て。
そんな祈りを捧げている人間を見て。
きっとここ神様は嘲笑ったに違いない。










でなければ。
もう一度、ここに来ることなど無かっただろう。










「何だか懐かしいな」

あの時とは逆の黒い衣装を身に纏って、シエルは教会に足を踏み入れる。
その表情はどこか愉しげで。
あの時に浮かべていた儚さなどまるで夢のようだ。

「まだ私にはつい最近のように感じますよ」

それを追いかけながら同じように黒い衣装を身に纏ったセバスチャンが苦笑する。
彼も同じように愉しそうだ。

「なら今日のことを僕が懐かしく感じる日が来るのは当分先か」
「そうなるかと」
「…まぁ、その方がいいだろう」

大切なことほど忘れたくないものだ。
そうやって笑えば、グイっと手を引かれセバスチャンの腕の中に閉じ込められる。
まるであの日…結婚した時のように。

「お前はあの時、僕に愛を誓ったな」
「はい」
「そして神の前で口付けた」
「えぇ」
「この結果はその罰だろう」

シエルは顔を上げて口角を吊り上げる。
その瞳は目の前にいる悪魔と同じ赤色。

「罰、ですか」
「僕は人間としての生を奪われ、お前は時間を掛けたディナーを奪われた。それは一番ダメージが大きいものなんじゃないか?」
「…そうかもしれませんね」

その赤い瞳を見つめたままセバスチャンも笑い、他の悪魔や人間たちにとっては、と付け足した。

「私にとってはこれが最高の形ですよ。神の前で結婚した甲斐がありました」
「それは本音か?」
「貴方に嘘は言えないでしょう?」

チュっとセバスチャンは軽くシエルに口付けを落とす。
悪戯なそれは悪魔の彼らしいものだ。

あの時と同じようで、あの時とはまったく違う。
シエルはセバスチャンの頬に手を伸ばし、優しく撫でながら聞く。
何よりも、どんなことよりも一番怖いことを。

「あの時の誓いのようにお前は僕を永遠に愛することが可能になったわけだが…」

なぁセバスチャン。

「お前は、幸せか?」



「…幸せでなければ、私はここにいませんよ」

まさかそう返ってくるとは思わなかったシエルは驚きに瞳を見開いた。
それにセバスチャンはクスリと笑って。
不安なシエルの為にもう一度誓いましょうかと、頬を撫でるシエルの手を強く握った。

「セバスチャ…」
「これからの運命がどんなに過酷なものであっても、私は必ず貴方のお傍におります。貴方をずっと、永遠に愛することを誓いましょう。私が幸せになるには、貴方が必要不可欠なんです」

あの時と同じ言葉。
けれど違うのは。
その赤い瞳に寂しさなんていう感情が、どこにも無いということだ。

「私と結婚してください」



セバスチャンが幸せになりますように…―――。
その願いはどこに?
誰に?

ちがう。

もう僕が幸せにしてやると胸を張って言える。
一緒に幸せになろうと言える。
何かに祈る必要なんて、もうどこにもないんだ。

きっともう誰にも僕たちの邪魔は出来ないだろう。
神様からの罰が最高な形だなんて。
神の手も届かない奈落の底へ落ちたも同然だ。
そこは二人だけの…。



「…仕方ないな」

シエルはセバスチャンのプロポーズに、
笑顔で頷いた。






 Happy Wedding!!