「24/7」

「ねぇ、シエル。・・・大丈夫なの?」
遠くからエリザベスの声がかすかに聞こえる。
身体はひどくだるいし、目蓋も重くて、あけることができない。
「・・・ん・・・ここはどこだ?」
目を閉じたまま、シエルはエリザベスに問いかける。
「何を言ってるの、シエル。自分の寝室じゃない。ウェディングドレスの試着の最
中に貧血を起こして倒れちゃったのよ。明日は、大事なお式なのに。シエルでも緊
張するのね」
大事なお式・・・一体、なんのことだろう?
ウェディングドレス?それは、エリザベスが着るものだろう。
頭の中が混乱していて、考えがうまくまとまらない。
重い目蓋をうっすらあけると、エリザベスが心配そうにシエルの顔をのぞきこんで
いた。
「やっと、気がついたみたいね。何か飲み物でも持ってきてもらう?未来の旦那様
に・・・」
エリザベスはいつものようににこにこ笑いながら、ベットのそばに置かれていた椅
子に座りなおした。
未来の旦那様・・・一体、誰のことだ?
シエルには、何が何だかわからない。
だるそうに顔をエリザベスの方へ向け、よく見てみると、自分の知っているエリザ
ベスより若干年上のように見えることに気がついた。
それに、顔を横に向けた時に、やわらかい髪が頬に触れたことに違和感を感じた。
髪はそんなに長いはずはないのに。
何かがおかしい。
だんだん頭がはっきりしてくると、いろいろな疑問がわいてくる。
重い身体をどうにか起こすと、長いブルネットの髪が肩口からさらさらと前の方に
流れ落ちてきた。
なんでだ?
部屋の中をゆっくり見まわして、シエルは唖然とした。
いつもの青い天蓋ではなく、淡いピンク色の天蓋へと変わっている。
部屋全体が落ち着いた雰囲気だったものが、おとなしめではあるが、可愛しい雰囲
気に変わっている。
「こ、これはどういうことだ!!」
シエルは自分で発した声のトーンにもびっくりして、口元に手をあてる。
いつもより声が高い。
それはまるで女の子のような声。
「・・・どうして?」
呆然としているシエルをエリザベスはさすがに心配になったのか、立ち上がり、呼
び鈴を鳴らした。
「今、ミカエリス伯爵が来るから待っていて。シエルったら、気を失っている間に
変な夢でも見たの?」
ミカエリス伯爵?
一体、誰なんだ、それは?
だんだん頭が痛くなってきた。
僕は確か・・・職務机でいつものように会社の書類を見ていたはずだ。
ふと、視線を自分の身体に向けると、胸元をリボンで飾られ、レースがふんだんに
使われたピンクのネグリジェを着ている。
(な、なんて格好をエリザベスに見せているんだ!!)
シエルは白い頬をほんのり赤く染めると、慌てて布団の中に逃げ込んだ。
男の僕がこんな格好をしているのに、エリザベスはおかしいと思わないのだろうか。
「急にどうしちゃったの、シエル。ミカエリス伯爵に会うのが恥ずかしくなってし
まったの?」
エリザベスはからかうような口調で言うと、布団の中に隠れているシエルの頭を軽
くなでた。
「だって、おかしいだろう?男の僕が、そ、その・・・女物のネグリジェを着て寝
ているなんて・・・」
シエルは今にも消えてしまいそうな小さな声で言う。
「何を言っているの、シエル?シエルは私と同じ女の子じゃない。小さいころから
おそろいのドレスを着たり、遊んだり姉妹のように過ごしてきたのに」
エリザベスはいよいよおかしなことを言い出したシエルにはお手上げのようだった。
女の子だって?
シエルは恥ずかしいと思いつつ、恐る恐る自分の胸に触れてみると、弾力のあるほ
どよくふくらんだ胸があった・・・。
男の僕に胸があるなんて、こんなことができるのはあいつしかいない。
シエルは自分の恋人でもある黒い執事を思いだした。
あいつは僕に何をしたんだ。
羞恥心でいっぱいのシエルは、布団から顔を出すことができずにいると、扉をノッ
クする音が聞こえた。
「どうぞ」
シエルの変わりにエリザベスが返事をすると、部屋に入ってきたセバスチャンは、
一礼する。
「失礼致します。」
「執事みたいな態度はもうおやめになったら、ミカエリス伯爵」
エリザベスは笑いながら、執事の態度を一向に変えようとしないセバスチャンに近
寄っていく。
「シエルの様子がおかしいの。なんだか、とても混乱しているみたいで。私は、明
日の用意もあるし、今日はこれで失礼するわ。シエルをお願いね」
「レディ・エリザベス、玄関までお送り致します」
「いいえ、私は大丈夫よ。ミカエリス伯爵はシエルのそばにいてあげて」
エリザベスはベッドのそばに歩み寄ると、布団の中に引きこもってしまったシエル
に聞こえるように、
「明日は私にとっても大切な日だわ。大好きなシエルの結婚式なんですもの。ゆっ
くり身体を休めて、明日は昔のような笑顔を見せてね」
そういうと、セバスチャンに挨拶をして、部屋を出て行った。
「・・・セバスチャン。これはどういうことだ!!」
布団の中に隠れていたシエルは、布団をはぐと低い唸るような声で言った。
「どうか致しましたか、マイ・レディ。いえ、シエル?」
セバスチャンは優しい笑みを浮かべ、シエルのベッドサイドに座った。
「どうもこうもない!!僕は男だったはずだぞ!!それなのにどうして、女性に変
わっているんだ?お前の魔力で僕に何かしたのか?」
一気に言いたいことを吐き出したシエルは、はぁはぁと肩で息をしている。
「レディ・エリザベスの言うように、今日のシエルはおかしいですね。私が魔力を
使えるなどといいだすなんて・・・」
セバスチャンは困惑したような表情でシエルを見ていたが、白絹の手袋をした手で、
シエルのほんのり赤く染まった頬をやさしくなでる。
むっとするが、いつもセバスチャンがしてくれるシエルを安心させる行動のひとつ
だ。
それは不思議と覚えている。
「お前は悪魔だろう?男の僕を女性に変えることだって、できるんだろう?それと
も、これは夢なのか?」
シエルは真剣な表情で、セバスチャンの茶色の瞳を見つめる。
そうではないと説明がつかないことばかりだ。
セバスチャンは頭をふり、否定する。
「私は人間ですよ。それにこれは現実です」
「じゃあ、その手袋をとって僕にみせろ」
「わかりました。それで、シエルが納得するのであれば・・・」
嫌がると思っていたセバスチャンがあっさり手袋をはずすことを了解し、はずし始
めた。
「爪と左手の甲を見せてくれ」
セバスチャンは言われるまま、シエルの前に爪と手の甲が見るように差し出した。
「あっ!」
セバスチャンの爪は悪魔の黒い爪ではなく、綺麗に磨かれたピンク色の爪だった。
そして、左手にはシエルとの契約を表す契約印がない。
「そんな馬鹿な・・・」
狐につままれるとはこういうことをいうのだろうか。
僕の右目の契約印はどうなっているのだろうか。
シエルは不安になり、ベッドから降りると、鏡を探して、気を失ってから初めて自
分の顔を見た。
そこには、青と紫のオッドアイを持つブルネットの長い髪の女性というのは、まだ
幼い表情の女の子が映っていた。
「これが、僕なのか?」
右目は紫になっているが、契約印はない。
一体、自分の身に何が起こったというのだろうか。
確かに自分は男だったはずだ。
セバスチャンの爪が黒くないということは、悪魔ではないと言った言葉に嘘はない
ということだろう。
それに、セバスチャンにはシエルに嘘がつけないという契約になっている。
これが夢で、その夢にセバスチャンが何か影響を与えていることはないのだろうか。
鏡の中の自分を信じられないという表情で、見つめ続けているシエルを心配してセ
バスチャンはそばに歩み寄ると、シエルの細い身体を後ろから抱きしめた。
セバスチャンの手が優しくシエルの膨らんだ胸を包み込むように抱きしめているの
で、くすぐったいような変な感じがする。
「な、何をするんだ!!」
シエルは恥ずかしさもあり、身体を捩ってセバスチャンの腕の中から逃れようとす
るが、逃れることができない。
「何って、いつもこうしているじゃないですか、シエル。一体、何があったのか、
私にわかるように説明して頂けませんか?」
「説明って言われても、僕自身よくわからないんだ。・・・ただ言えるのは、僕は
目を覚ます前までは男として生きていたって事だけだ」
そういうとシエルは、唇を噛みしめ、不安そうな顔でうつむいてしまった。
自分の身に何が起こったのか、一番知りたいのは、シエル自身なのだから。
これは僕が見ている滑稽な夢なのではないか。
セバスチャンは、僕が困っているのをどこかでみていて、いつ出て行こうかと笑い
ながら、様子をうかがっているのではないだろうか。
そうであってほしい・・・シエルは心から思った。
ここはなぜだか、居心地が悪い。
僕の知っているセバスチャンに逢いたい。
大丈夫だと言っていつものようにやさしく抱きしめてほしい。
シエルは、ほっそりとした自分の手の甲をつねってみると、とても痛かった。
痛いということは夢ではないのか。
セバスチャンは不安そうなシエルの心情を察し、優しく話しかける。
「男として、ですか?シエルは初めて逢った時から可愛らしい女の子でしたよ」
セバスチャンはそういうと、シエルを軽々と抱きかかえ、ベッドに座らせた。
シエルの肩にブランケットをかけると、セバスチャンもシエルの横に座った。
混乱している頭を整理しながらシエルは、自分の身に起こっていることをぽつりぽ
つりと話しを始めた。
「今の僕は、これまで過ごしてきた人生とは全く違う人生にいるみたいだ。僕の両
親は何者かに殺され、僕自身も口にするのも嫌になるようなひどい目にあった。殺
されそうになった時、目の前に悪魔が現れ、僕は自分の魂と引き換えに僕の望みを
かなえる為、悪魔と契約をした。僕はその悪魔にセバスチャン・ミカエリスという
名前を与えた。そして、僕は女王の番犬として任務に就き、僕の両親を殺した者達
が現れるのを待っていたんだ。そうセバスチャンと共に待っている途中だったんだ
・・・」
「私は、悪魔だったのですか・・・。シエル、私に恨みでもあるのですか?」
セバスチャンはショックを受けたようだったが、シエルの細い肩を抱き寄せ、自分
に寄りかからせた。
シエルの細い身体は、微かに震えていた。
セバスチャンは愛おしむように、小さな頭を優しくなで、シエルが落ち着くのを待
ってくれているようだった。
「私の知っているシエルの話しをしましょうか」
セバスチャンは、茶色の瞳を細め、優しく微笑んだ。
「シエルの家系は確かに昔から女王の番犬として、任務を任されています。それは、
同じようですね。シエルのお父様のヴィンセント様と私の父は古くからの親友で、
裏の世界の協力者でもありました。私は次男でしたから、家督は兄が継ぐことにな
っていましたので、父とヴィンセント様との間で私とシエルを許婚にする話しが決
まっていました。私は、18歳の時から父と一緒にヴィンセント様の仕事を手伝い、
ファントムハイブ家の仕事を受け継ぐ為に、いろいろ教え込まれていました」
「そうだったのか。でも、伯爵家の次男がなぜ、僕の執事になったんだ?」
シエルのブルネットの長い髪をなでながら、セバスチャンは言葉を続けた。
「正確に言うと、家庭教師兼執事ですよ、シエル。ヴィンセント様とレイチェル様
がシエルの10歳の誕生日に事故でお亡くなりになりました。ファントムハイブ家の
特殊な事情もあり、女性であるシエルが女王の番犬として任務に就き、そして爵位
を受け継ぎ、会社の経営まで一人で行わなければいけなくなってしまいました。
シエルは事故に不信感を持っていたようで、女王の番犬として裏の世界の情報を得
ようとしていました。それを知った私は、シエルのそばに常にいて、守ることがで
きるように家令のタナカさんと相談をして、自分の身分を隠し、シエルのそばにい
られるようにしたのです。それに、シエルはまだ10歳の少女でしたから、急に許婚
だと言われて、私が現れても困るでしょうし。私は、シエルとは許婚だから、結婚
するということではなく、きちんと恋愛をして結婚をしたかったのです。結婚の約
束を忘れてしまったのであれば、もう一度、プロポーズをしなければいけないです
ね」
セバスチャンは大きな青と紫のオッドアイの瞳で自分を不思議そうに見つめている
シエルの左手をとると、自分の両手で包みこんだ。
(温かい・・・僕の体温よりも低い悪魔のセバスチャンとは違うんだな)
悪魔のセバスチャンと外見は同じだし、雰囲気もどことなく似ている。
僕が知っているセバスチャンは、どっちなんだろう。
セバスチャンの話し方、微笑み方、優しい瞳、似ているようだけれど、よく見てみ
るといつも一緒にいる者にしかわからないほんの些細な違いに気がついた。
僕は今見ているセバスチャンの事をよく知っているんだ。
そのことに気がつくと、今まで自分の記憶だと思っていた少年のシエルの記憶から
セバスチャンに聞いた話しがパズルのピースのように、組み合わされ、もう一人の
本来の自分のことを思い出し始めた。
大好きだったおとうさまとおかあさまが事故で死んでしまったこと。
セバスチャンが家庭教師兼執事として、僕のそばにいてくれると言ってくれて、と
てもうれしかったこと。
セバスチャンと過ごしていく中で、セバスチャンを一人の男性として好きになって
しまい、悩んだこと。
女王の番犬として生きることを決めた時に、女性としての幸せはあきらめたのに、
セバスチャンの言葉に心を動かされ、セバスチャンと身分の差の為に秘密の恋人同
士となったこと。
16歳の誕生日に真実を告げられ、かなうことがないと思っていたセバスチャンから
プロポーズされ、喜んで受けたこと。
今まで、なぜ忘れていたのかわからないほど、鮮やかに次々と思いだされてきた。
白い頬をバラ色に染めて、うつむいているシエルに気づき、セバスチャンは顔を覗
きこんだ。
「・・・思いだしましたか、シエル?」
シエルは今までの態度を思い返すと恥ずかしくなり、それを悟られないようにそっ
けなく答える。
「なんとなくだけど、思いだしてきた。でも、なんで、今まで僕は自分を男だと思
っていたんだろう?僕が経験したと思っていたことは全て夢だったということなん
だろうか?」
シエルは疑問に思っていることを言葉にして、改めてあれはなんだったんだろうか
と考え込んでしまった。
「何かの本で読んだことがあります。この世界には、いくつもの可能性があって、
別の空間に同じ人間が存在していますが、全く別の人生を送っていると。シエルは
もしかすると、その可能性の1つである少年のシエルの人生を夢として見たのかも
しれません。その人生があまりに強烈すぎて、自分自身のことだと勘違いしてしま
ったのかもしれませんね」
「そうなんだろうか?だとしたら、もう一人の僕が過ごしている人生は僕のおくっ
ている人生より、はるかに過酷なものだった・・・」
自分の記憶だと思ってしまうほどの強烈な人生。
シエル・ファントムハイブという存在は、どの空間のどの世界でも同じように愛し
い両親を幼いころに亡くし、過酷な人生を歩むように運命づけられているのだろう
か。
それとも、王室の歴史を陰から支えてきた英国裏社会を統べてきた闇の一族、特務
執行機関ファントムハイブへの永遠と続いてきた憎しみや恨みのせいなのかもしれ
ない。
おとうさまとあかあさまを急な事故で亡くし、悲しみで泣く間もなく、女王の番犬
として任務に就いた。
それが当然だと思っていたし、おとうさまとおかあさまの不審な事故死の原因を探
ることができるかもしれないと思ったからだ。
女王の番犬として、任務につかないという選択肢も、もしかしたらあったのかもし
れない。
でも、僕は自ら選び、女王の番犬となったのだ。
もう一人の僕と同じように。
それを後悔していない。
自分と同じ存在であるもう一人の僕も同じ気持ちだった。
明日、人生の1つの転機を迎える特別な時、何かの拍子でもう一人の存在に気がつ
いたのかもしれない。
温かい涙が次々とシエルの手に落ち、シエルは初めて自分が泣いていることに気が
ついた。
セバスチャンはシエルを抱き寄せ、頬を濡らす涙をすくい、頬に優しく何度もキス
をした。
「泣かないで、シエル。私はシエルの涙に弱いのですから・・・」
「わからないけど、涙が止まらないんだ。僕はもう一人の僕にも、幸せになってほ
しいんだ」
「私もシエルには幸せでいてほしいと思っていますよ。少年のシエルにも、もう一
人の私がいたのでしょう?」
「いつもそばにいてくれたよ。どんな時も。僕はセバスチャンの事を愛していて、
悪魔なのにセバスチャンは、僕を愛していると言うんだ。おかしいだろう?」
シエルはその時のことを思い出して、ふと微笑んだ。
そう少年の僕は、今の僕と同じようにセバスチャンを愛していた。
心から愛している。
その想いは一緒だと思えた。
「悪魔が愛してしまうほど、少年のシエルも美しいのでしょうね。見てみたいよう
な気もしますが、私は、今、目の前のシエルに夢中ですから、やめておきましょう」
セバスチャンはシエルの頬に手を添えると、赤く色づいているシエルのふっくらと
した唇に自分の唇を重ねた。
やわらかいシエルの唇の感触を愉しむように、何度も啄ばむようなキスを繰り返す。
シエルはセバスチャンのたくましい首に細い腕をまわすと、
「・・・もっとキスして、セバスチャン」
甘えるようにそう言うと、うるんだ青と紫のオッドアイの瞳でセバスチャンを見つ
めた。
「・・・可愛いおねだりですね」
セバスチャンは、シエルを強く抱きよせると、角度を変えて深く口づけた。
シエルは戸惑いながらもセバスチャンに教えられたように、唇を少し開けると、セ
バスチャンの舌がすぐにはいってきて、逃げたシエルの舌を絡め取った。
「・・・ん・・・んふぅ・・・ん・・・」
シエルの息が苦しくならないように、呼吸する感覚を与えながら、お互いの舌を絡
めあわせ、どちらの唾液なのかだんだんわからなくなっていく。
水の音が静かな部屋の中ではっきりと聞こえ、シエルの耳を侵していく。
セバスチャンの大きな手が優しくシエルの背中をネグリジェの上からなでると、シ
エルの口から甘い吐息がもれる。
「・・・ん・・・セバス・・・チャン・・・」
シエルは惚けた瞳でセバスチャンを見つめる。
「こんな顔を他の誰にも見せないでくださいね、シエル」
見せるはずもないのに、セバスチャンはシエルとキスをするようになってから、何
度となく言うようになったセリフの1つ。
「・・・見せるはずないだろう。僕がキスをするのは、セバスチャンだけなんだか
ら」
シエルはむっとしたように答えると、セバスチャンはにこやかに微笑む。
社交界デビューをして、すぐに結婚を決めてしまったシエルに、社交の場で伝え聞
いていたシエルの美貌を見ることを心待ちにしていた男性達を落胆させているなど
と言うことは全く知る由もなかった。
シエルに他の男が近づくのをセバスチャンが避けていたというのもあるのだが。
その為か、噂が噂を呼び、社交界デビューの後も、なかなか夜会に姿を見せないシ
エルの容姿については、いまだ神秘に包まれているのだ。
10歳のシエルを大切に守り、育ててきたセバスチャンとしては、他の男達の視線に
シエルをさらすのは我慢できないことだったのだ。
大人げないと言ってしまえば、それまでなのだが・・・。
「今からシエルのウェディングドレス姿が楽しみですね」
本来であれば、盛大な結婚式を挙げても良いのだが、シエルがそれを嫌い、明日は、
近親者のみで教会で式を挙げることになっているのだ。
「記憶が戻ってきているとはいえ、なんだかまだ信じられない」
シエルは戸惑ったような、困惑したような表情をしている。
嬉しいはずなのに、素直に喜べないのは、もう一人の自分のことを思っているから
なのだろう。
「・・・シエル。花嫁さんがそんな顔をしていたら、私と嫌々結婚するのかと思わ
れてしまいますよ」
セバスチャンは冗談ぽく言ったのだが、うつむいていたシエルは慌てたように、顔
を上げ、真剣な眼差しでセバスチャンの茶色の瞳をじっと見つめている。
「そ、そんなことない。絶対にないから」
ずっと好きだったセバスチャンと結婚ができるというのに、自分は何をしているの
だろう。
僕は僕なのだから。
今の僕の人生をしっかり生きていけばいいんだ、セバスチャンと共に。
「愛していますよ、シエル、これから先もずっと」
シエルの細い身体を強く抱きしめ、セバスチャンはシエルの耳元で低く囁いた。
一瞬、シエルはくすぐったそうに瞳を細めたが、首にまわした手でセバスチャンの
漆黒の髪を愛おしむように指に絡める。
「僕も愛してる。セバスチャンだけをこれから先ずっと」
セバスチャンの肩口に顔をうずめ、自分を安心させてくれる腕の中でシエルは瞳を
閉じる。
「おとうさまとおかあさまにも見せたかった・・・」
シエルはぽつりとつぶやいた。
「きっと天国から祝福してくれていますよ、シエル」
「うん」
自分の頭を優しくなでてくれるセバスチャンの手は、子供の頃、同じように頭をな
でてくれたおとうさまを思い出す。
「絶対に幸せにします、シエル」
「セバスチャンは幸せ?」
うっとりと瞳を閉じていたシエルは、急に瞳を開けるとセバスチャンの茶色の瞳を
見つめる。
「もちろん、幸せですよ」
「よかった。僕だけが幸せじゃ意味がないもの。セバスチャンと僕、両方が幸せじ
ゃないと。だから、セバスチャンの事は僕が幸せにするから」
シエルは大きなオッドアイの瞳を細めて、嬉しそうに微笑む。
久しぶりにシエルの心からの笑顔を見たような気がする。
笑顔が似合う少女だったシエルが、両親を亡くしてからは、あまり笑わなくなって
しまった。
それでも、セバスチャンと一緒にいるようになってから、時々、笑顔を見せるよう
になっていたけれど。
(明日は、レディ・エリザベスの言うように、以前の笑顔が見たいですね)
セバスチャンは、腕の中のシエルを愛おしむように抱きしめ、額に優しくキスをし
た。

           ◆    ◆    ◆ 

シエルはセバスチャンと共にディナーを・・・といっても、セバスチャンが執事の
役をしながらという奇妙なディナーなのだが・・・すませた。
ファントムハイブという特殊な家柄の為、新たに執事を雇いいれるのも難しいとい
うこともあり、セバスチャンはシエルとの結婚後も執事を続けると言って譲らない
のだ。
確かに、セバスチャンは有能な執事だけれども、これからはシエルと共にファント
ムハイブ家の主人となり、裏社会を統べる存在になるのに。
自分よりも有能な執事がいたら雇い入れてもいいというセバスチャンの意見がある
ので、たぶんこのままセバスチャンが執事を続けていくことになりそうなのだが。
自分の部屋に戻ってから、シエルは、いつもより早めにメイリンに入浴の手伝いを
してもらい、明日に備えて入念に入浴を済ませた。
ベッドサイドに座ると、シエルはふーっと大きく息を吐く。
白い頬は、入浴の為、ほんのりバラ色に染まり、身体もほてったままだった。
明日、私はセバスチャンの妻になる。
なんだか、まだ信じられない。
女王の番犬として任務に就いた時、女性としての幸せは望まないと決めていたのに。
いつの間にか、セバスチャンがその心を溶かし、シエルにとって、いなくてはなら
ない存在になっていた。
誰にでも幸せになる権利があるのだと、セバスチャンはいつも言っていた。
私の背負っているものを一緒に背負ってくれると言ってくれたセバスチャン。
私はなんて幸せなんだろう。
シエルはベットに倒れこむと、淡いピンクの天蓋を見上げた。
この部屋は明日から、私とセバスチャンの寝室へと変わる。
子供の私には、広すぎて、おとうさまとおかあさまが亡くなってからは、よくセバ
スチャンの部屋に行って、一緒のベッドで眠ってもらったものだ。
ふと懐かしくなって、シエルは身体を起こすと、赤いガウンをはおって、部屋をで
た。
まだ、セバスチャンは部屋にいないかもしれない。
それでもよかった。
暗くて怖かった長い廊下は、今もまだ少し怖いけれど。
使用人達の部屋が並ぶ廊下にたどりつくと、懐かしさと安堵感に満たされる。
セバスチャンの部屋の扉を控えめにノックすると、すぐに扉が開かれた。
「シエル!?どうしたのですか?」
扉の前に立つシエルを見て、セバスチャンは驚いたようだったが、すぐに部屋に招
き入れてくれた。
「なんだか、昔のことを思い出していたら、ここに来たくなって・・・」
シエルはいないと思っていたセバスチャンが、部屋にいたこともあり、急に恥ずか
しくなってしまった。
「そういえば、昔はよく私の部屋に泣きそうな顔をしながら、来ていましたね。そ
のことを言うと、シエルは泣いてないと膨れていましたが・・・」
セバスチャンはシエルの上気したままのバラ色の頬を突っつく。
「だって、まだ泣いてなかったもの」
シエルはセバスチャンの身体に抱きつくと、上目づかいでセバスチャンを見つめる。
「・・・シエル。今夜は、一人で過ごす約束ではなかったですか?」
抱きついてきたシエルを優しく抱きしめながら、セバスチャンはため息をつく。
「そうだったかしら?きっとさっきの夢のせいで忘れてしまったのね」
いたずらっぽく笑うと、シエルはセバスチャンのシャツの胸元に顔をうずめ、青と
紫のオッドアイの瞳を閉じる。
大好きなセバスチャンの匂いは、どんな時もシエルを安心させてくれた。
「困ったシエルですね。他の使用人達がいくら私たちの関係を知っているとはいえ、
今日くらいは、別々に過ごしましょうと約束したはずなんですけどね」
「セバスチャンは私と一緒に過ごしたくないの?」
シエルは小首をかしげて、セバスチャンを見つめる。
「もう一人の少年のシエルの世界では私が、悪魔だったようですが、この世界では
シエルが小悪魔のようですね」
自分がどれだけ魅力的な女性なのか、自覚がないというのは怖いもので・・・。
透けるように白い肌はなめらかで、触ると手にすいつくようにしっとりとしている。
ブルネットの長い髪は、セバスチャンの手入れの賜物で、さらさらと揺れるたび、
美しい艶が内面からあふれ出ている。
大きな青と紫のオッドアイの瞳は、入浴後ということもあり、熱で少しうるんでい
た。
ふっくらとした唇はベリーのように赤く色づいている。
他の女性がうらやみそうなコルセットを必要としないほど、細くくびれたウェスト。
10歳の時からシエルのそばにいて、執事として身の回りの世話をしてきたセバスチ
ャンにとって、美しく成長したシエルを見ることは嬉しいことであり、どこにだし
ても恥ずかしくないレディに育てたつもりだ。
だからこそ、心配事が多いのだが・・・。
「小悪魔?なんのこと?」
シエルはセバスチャンの言った意味がわからず瞳を瞬く。
「なんでもありませんよ、シエル。折角、シエルが夜這いに来てくれたのですから、
期待に応えないといけないですね」
セバスチャンはそういうと、シエルを軽々と抱きかかえ、ベッドへと連れて行き、
シエルをベッドにおろすと、自分もベッドに乗り、シエルのそばに近づいていく。
「今日はダメ。昔みたいに腕枕をしてもらいながら寝るつもりで来たんだから」
シエルは慌てて、セバスチャンの腕から逃れると、布団の中にもぐりこんでしまっ
た。
「・・・やっぱり小悪魔ですね・・・」
セバスチャンは苦笑すると、サイドテーブルの灯りを消し、シエルの待つ布団の中
に身体を滑り込ませる。
「セバスチャン、早く、早く」
シエルにシャツを引っ張られ、セバスチャンが腕を伸ばすとすぐにシエルの小さな
頭の重さが腕に伝わってきた。
「もっとくっついてもいい?」
シエルの甘い囁きに、軽く眩暈を感じながら、
「いいですよ」
と答えると、シエルの温かい身体がより近くなる。
「こうしていると、昔みたいね」
シエルは嬉しそうに言うが、セバスチャンにとってはもはや、寝るどころの話しで
はない。
男心をもう少し教えておくべきだったとセバスチャンは後悔する。
月明かりがうっすらと入ってくる部屋の中。
セバスチャンに頭をなでられていると、話したいことがたくさんあったのに、シエ
ルの目蓋は本人の意思に反して閉じてしまった。
昔は二人で寝ても広く感じられたベッドも、今のシエルとセバスチャンではちょう
どいいくらいだった。
ここで過ごすのも今日で最後。
そして、シエルとこのベッドで寝るのも最後。
幼いシエルが眠りにつくまで、頭をなでていたこと。
眠った後、シエルが両親の名前を呼びながら、泣いていたこと。
女王の番犬としての威厳を保つために誰にも見せなかった涙。
今も、屋敷から外に出れば、女王の番犬として、またファントム社の経営者として
の勝気な女性のシエルがいる。
せめて自分といるときは。たくさん甘えさせてあげたいし、安らぎを与える存在で
いたいと思っていた。
少し早いかと思ったが、16歳の誕生日に全てを明かし、シエルと共に生きること
をシエル自身に誓ったのだ。
やわらかなシエルのブルネットの髪にキスをする。
ふと、シエルを見ると瞳を閉じて、寝息をたてていた。
今日一日、いろいろなことがありすぎて疲れてしまったのだろう。
シエルの白い頬に優しくキスをすると、セバスチャンはシエルを優しく抱き寄せ、
自分も目を閉じる。
「良い夢を、シエル」

           ◆    ◆    ◆ 

闇に覆われていた部屋に少しずつ、太陽の光が差し込んでくる。
執事の朝は早く、夜は遅い。
昨日は、シエルと共に早々と眠ってしまったが・・・。
腕の中で、穏やかな寝息を立てているシエルは精巧に作られたビスクドールのよう
に美しい。
規則正しく胸が上下にしていなければ、人形と見間違えてしまいそうだ。
このまま寝かせておいてあげたいと思うのだが、シエルが目を覚ました時に、セバ
スチャンがそばにいないと不機嫌になるので声をかけるようにしている。
「シエル、そろそろ私は起きますけど、どうしますか?」
「・・・ん・・・もう、そんな時間?」
シエルはもそもそ動くと、セバスチャンの胸元に顔をうずめる。
「みんなが起きる前に部屋に戻りませんか?」
頭を優しくなでながら、シエルの耳元で囁く。
シエルの父親代わりでもある家令のタナカに見られたら、さすがに気まずい。
「ふふ・・・くすぐったい。わかったわ。部屋に戻るわ」
シエルは身体を捩りながら、瞳を開ける。
「おはようございます、シエル」
「おはよう、セバスチャン」
朝の挨拶もそこそこに、二人は軽くキスを交わす。
いつもと変わらない朝の風景。
二人にとって、特別な日の始まりにシエルは、ドキドキと胸が高鳴っていた。
セバスチャンはシエルを抱き起こすと、そのまま抱えて、自室を後にする。
まだ薄暗い静かな廊下を歩いている間、シエルはセバスチャンの首に細い腕をまわ
し、まだ整えられていないセバスチャンの髪に指を絡めながら、足をぶらぶらさせ
ていた。
その仕草は、幼い子供の頃のシエルを思い出させる。
「シエルは、小さな子供に戻ってしまったみたいですね」
セバスチャンは苦笑しながら、シエルを見る。
「そ、そんなことはないわ。私はもう子供じゃないわ。立派なレディよ」
恥ずかしい気持ちをごまかす為に、つい無意識のうちに行っていた行動が子供に戻
ってしまったようだと言われてしまい、シエルは余計恥ずかしくなってしまった。
白い頬をバラ色に染め、セバスチャンから視線を逸らす。
部屋に着くと、セバスチャンはシエルをベッドに静かに下ろした。
「まだ時間はありますから、横になっていてはいかがですか?」
セバスチャンは、そういうと後でまた紅茶をもって伺いますと言って、部屋を後に
した。
シエルはベッドに仰向けに倒れこむと、枕元に置いてあったビターラビットを抱き
しめながら、淡いピンクの天蓋を見上げた。
私はもう子供じゃない。
それはセバスチャンがよく知っているはずなのに。
誰かに守られるだけのか弱い子供の自分は嫌。
フランシス叔母様のように強くなりたくて、武術や剣術、自分の身を守る術は身に
付けた。
マダム・レッドには、もっと女の子らしくしなさいといまだに言われるけれど。
女王の番犬として生きることを決めた私には、女の子らしさなんて不必要なものだ
ったから。
その私が、セバスチャンを好きになり、結婚することになるなんてまだ信じられな
い。
今日からは、夜もずっと一緒にいられることが恥ずかしくもあり、うれしかった。
一緒に寝ていてもシエルの方が先に寝てしまうので、今まで1回しかセバスチャン
の寝顔を見たことがないのだ。
それも、まだ恋人同士になる前の事で、珍しく早く目が覚めたシエルは、セバスチ
ャンがまだ寝ているのをみて、最初は寝たふりをしているのではないかと様子をう
かがっていたのだが、熟睡しているようなので、安心した。
セバスチャンの見たことがない顔を見れた嬉しさと独り占めしている喜びを今もよ
く覚えている。
意外と長い睫毛、端正な顔立ち、薄い唇。
しばらくじっと見ていたけれど、セバスチャンの漆黒の髪に触ってみたくて、恐る
恐る手を伸ばし触ってみた。
やわらかい髪のさわり心地がよくて、髪を何度か指に絡めて見たけれど、セバスチ
ャンが起きる様子がないので、ずっと触れてみたかったセバスチャンの唇にゆっく
り手を伸ばし、触れてみた。
すごくやわらかくて、いつも頬にキスしてくれる時よりもずっとやわらかく感じた。
もっと触れてみたい・・・セバスチャンの腕の中にいたシエルは、もぞもぞと身体
をゆっくり起こすと、セバスチャンの唇に自分の唇を重ねてみた。
先程までのやわらかさとは、比べようもないくらいやわらかい感触にびっくりして、
すぐに離れてしまったけど。
今、考えてみると、あれが初めてのセバスチャンとのキスだったんだ。
シエルは、ビターラビットにキスをして、ぎゅっと抱きしめる。
扉をノックする音が聞こえ、セバスチャンが紅茶を運んできた。
「・・・やっぱり起きていたんですね、シエル」
いつもの執事の格好をしたセバスチャンは、手早く紅茶の用意をする。
「色々、思いだしていたら、眠れなくなってしまったの」
シエルはあの時のことを思いだし、笑っている顔を見られるのが、恥ずかしくてビ
ターラビットで顔を隠す。
「何を思いだしていたんですか?」
「ふふ・・・内緒」
シエルは身体を起こすと、差し出されたソーサーを受け取り、細い指でティーカッ
プを持ち、ミルクティーを一口飲んだ。
「内緒・・・ですか?ますます知りたいですね」
「内緒は内緒よ。誰かに言ってしまったら、内緒ではなくなってしまうわ」
シエルは唇に人差し指をあて、にっこりと微笑む。
「シエルと私の間で内緒・・・秘密なんてありましたか?」
「・・・あるのよ。セバスチャンが知らないだけで・・・」
紅茶を飲み終えたティーカップをソーサーに戻し、セバスチャンに手渡すと、シエ
ルはその言い方に何か含みがあるように感じて、逆に気になってきた。
もしかして、あの事を知っているんじゃないかしら。
シエルは子供の頃だったとはいえ、寝ているセバスチャンにキスをしたことを知ら
れているのではないかと思うと恥ずかしくなって、顔がほてってくるのがわかった。
「セバスチャン、何か思い当たることがあるの?」
「そうですね。私がシエルに言っていないことを内緒というなら、秘密があるかも
しれませんね」
セバスチャンはにこにこしながら、焦り始めたシエルを見つめている。
やっぱりばれているの?
でも、何かおかしい。
セバスチャンが私に言っていないことがある?
それってどういうこと?
他に付き合っている女性がいるとか?
シエルの顔がだんだん曇っていくのをセバスチャンは相変わらずにこにこしながら
見ている。
「セ、セバスチャン。私たちこれから夫婦になるのよね?秘密があるのはよくない
と思うんだけど・・・後々、喧嘩の元になったりするかもしれないし・・・。今な
ら、昔のことも許すわよ」
「そうですか?神様に懺悔するより前に、シエルに懺悔しておいた方がいいですね」
セバスチャンはベッドサイドに座ると、はぁーとため息をつくと、真面目な顔でシ
エルを見つめた。
「な、なにかしら?」
無意識にシエルの声が上ずる。
「何から話しておきましょうか・・・」
セバスチャンは腕組みをして、思案している。
「えっ、そんなにたくさんあるの?」
嫌なことを色々考えてしまって、どんどん不安になっていく。
「そうでもないと思いますよ。例えば、朝、寝ているふりをして、シエルが何をす
るのか、様子をうかがっていたら、キスをされてしまったりとか・・・」
「寝てるふりしてたの?」
シエルの大きな青と紫のオッドアイの瞳がより大きくなる。
「はい。シエルが何をするのか興味があったので、寝たふりをしていましたが、ま
さか、キスされるとは思っていませんでしたから、びっくりして起きてしまいそう
になりました。あとは、そうですね・・・寝ているシエルによくキスしたり・・・
これは、シエルも私にしていましたから、お互い様ですね」
「そ、そうね。あとは?」
「うっかりキスマークを付けてしまったのを虫さされだとごまかしたり、シエルの
見えないところにつけたり・・・」
「・・・あとは?」
「胸が大きくなるように寝ている間に触ったり・・・」
「・・・」
「シエル、どうしたんですか?そんな呆れたような顔をして」
「セバスチャンは、私が寝ている間に気がつかないと思って、そんなことばかりし
てたの?」
「無防備に横で寝ていられると、私も男ですからね。どこまでしたら、シエルが起
きるのかなと思いまして・・・」
「セバスチャンのエッチ!!」
ビターラビットをセバスチャンに向かって投げつけると、セバスチャンの身体にあ
たり、膝に落ちる。
「シエルが可愛すぎるからいけないんですよ」
ビターラビットをサイドテーブルに置くと、シエルをベッドへ押し倒し、セバスチ
ャンは耳元で低く囁く。
「・・・ん、くすぐったいってば」
「くすぐったいだけですか?」
シエルはセバスチャンのたくましい胸を細い腕で押すが、びくともしない。
「10歳の時からシエルのそばにいて、ずっと守ってきたんです。それくらいご褒美
をもらっても許されると思うのですが、マイ・レディ?」
「許してあげるわ。私の心も身体もずっと前からセバスチャンのものだから。でも、
セバスチャンの心も身体も私だけのものよ」
セバスチャンを見上げる青と紫のオッドアイの瞳には、強い意志が込められている。
この強い意志のこもった瞳がセバスチャンが魅了してやまない。
「初めてシエルを見たときから、私の心も身体も全て、シエルだけのものですよ。
ずっとシエルが欲しかった」
シエルの白い頬に唇を近づける。
「私も初めて見たときから、セバスチャンがほしかったわ。今日、それがかなうの
ね」
シエルはセバスチャンの頬に手を添えて、自分の唇をセバスチャンの唇に重ねる。
軽くキスを交わし、二人で微笑みあう。
「そろそろ朝食を食べて、式の準備をしないといけないですね。今日は時間に遅れ
るわけにはいきませんから。この続きは、夜ですね・・・」
「えっ?」
セバスチャンは立ち上がると、白い頬をバラ色に染めているシエルを抱き起こす。
「おや、不満ですか?」
「そんなことないわ」
シエルは慌てたように、セバスチャンから離れる。
大胆な言動をとったかと思うと、急に恥じらいの表情を見せる。
その二面性が、セバスチャンにとっては可愛くて仕方がない。
「それでは、着替えの用意を致しましょうか、シエル?」
セバスチャンは驚いているシエルを気にする様子もなく、衣裳部屋に入っていく。
「待って、セバスチャン。私の着替えは、だいぶ前からメイリンの仕事になってい
たはずだけど・・・」
「今日から、またシエルの身の回りの世話は、私がすることになりました。ファン
トムハイブの執事・・・いえ、主人たるもの自分の妻の身の回りのことができずに、
どうしますか?」
何着かの洋服を手に取り、迷っている様子のセバスチャンは当たり前にように言う。
「夫に世話をしてもらっている奥さんなんていないと思うんだけど・・・」
逆はあるかもしれないけれど。
セバスチャンに手をひかれ、衣裳部屋に入り、姿見の前で洋服をシエルに合わせ、
今日のイメージではないですねと独り言を言っているセバスチャンには聞こえてい
ないようだ。
「セバスチャンは、私の夫になるのであって、執事ではないのだから、身の回りの
ことはしてくれなくてもいいのよ」
半ば呆れ気味にシエルが言うと、セバスチャンは真剣な表情でシエルの細い肩に手
を置く。
「だからこそ、人の目を気にしないで、シエルの身に周りの世話ができるのではな
いですか」
「・・・はぁ?」
少しの間の後、シエルはセバスチャンの言葉の意味がわからず、聞き返してしまっ
た。
「少し前まで、シエルの着替えや入浴は私の仕事でしたけど、シエルも年頃になっ
たということで、メイリンに仕事を引き継ぎましたが、やっぱりシエルの身の回り
の世話は私ではないと、どうも落ち着きません。シエルの美しさを引き立たせるこ
とができるのは私だけですから」
何を真剣な表情で語っているんだろう・・・。
シエルは呆れるのを通り越して、どうでもよくなってしまった。
セバスチャンはこう言いだしたら、何を言っても無駄だということをよく知ってい
るからだ。
「・・・わかったわ。セバスチャンの好きにしていいわ」
シエルはため息をつくと、セバスチャンに手伝ってもらい、服を着替えると、朝食
の為、食堂へと向かった。
「おはようございます、お嬢様」
扉をセバスチャンがあけると、いつも以上に明るい声が聞こえてくる。
タナカ、バルドロイ、フィニアン、メイリンが食堂で並んで待っていた。
「おはよう、みんな」
シエルはにっこりと笑うと、部屋に入ると、部屋の中がいつもより華やかに飾りつ
けられていることに気がついた。
「これは、どうしたの?」
シエルは不思議そうに、部屋の中を見回しながら、セバスチャンが引いてくれた椅
子に座る。
「今日は、お嬢様とセバスチャンさんの結婚式なので、みんなでお祝いをしようと
思って、僕たちで飾り付けしてみました」
フィニアンがにこにこ嬉しそうに笑いながら、シエルの好きな白バラを1本差し出
した。
「・・・ありがとう、フィニアン。とてもうれしいわ」
白バラを受け取ると、シエルは青と紫のオッドアイの瞳を閉じ、白バラの匂いを堪
能する。
「お嬢様、私たちが本当にお式へ参列しても、よろしいのでしょうか?」
メイリンが不安そうな顔で聞いてきた。
「いいのよ。だって、タナカ、バルドロイ、メイリン、フィニアン。みんな私の家
族みたいなものだもの。気にせず、参列して。衣裳も用意したのだから」
シエルのその言葉を聞くと、三人は口々にお礼の言葉を言う。
本当に祝ってほしい者しかよばない。
それがシエルの考えだったから。
いつも自分の為に命をかけてくれる皆に感謝の気持ちを込めて。
「マイ・レディ。朝食が覚めてしまいますよ。皆さんも時間までに各自の仕事を終
わらせるように」
セバスチャンの指示が出ると、三人は部屋を出て行った。
「お嬢様、本当に私がエスコートしてもよろしいのでしょうか?」
タナカは、使用人という立場なのに、父親役をお願いされるという大役に戸惑って
いるようだった。
「タナカは、私にとって父親のような存在よ。私を一人でヴァージンロードを歩か
せるつもり?」
シエルはセバスチャンが入れてくれた紅茶を一口飲む。
「そんな事はさせられません。しかし、私は使用人ですから・・・お気持ちは嬉し
いのですが、立場をわきまえませんと・・・」
「今日だけ特別ということではダメ?おとうさまの時から、ファントムハイブ家に
仕えてくれているタナカにしか頼めないお願いなのだけど」
シエルは戸惑っているタナカにどうしたものか、思案しながら、セバスチャンの方
をちらりと見る。
「タナカさん、私からもぜひお願いします」
セバスチャンは、シエルの意図を感じとり言葉を続ける。
「お二人にそう言っていただけるのであれば、断ることはできません。誠心誠意、
大役を務めさせていただきます」
タナカは一礼をすると、嬉しそうに目を細めた。
「ありがとう、タナカ。とても心強いわ。私一人では、緊張してヴァージンロード
を歩けないかもしれないと心配していたから」
「私も少し心配でしたし。昨日のように緊張のあまり倒れてしまうのではいかと・・・」
セバスチャンもシエルと同じテーブルにつくと、食事を始めた。
「それでは、今朝は私が執事の役を務めさせていただきますので、ゆっくりお食事
下さい。旦那様」
そういうとセバスチャンのティーカップに紅茶を注いだ。
「ありがとう、タナカ。でも、朝食の間だけだ。私は執事の仕事が気に入っている
のでね」
セバスチャンがそういうと、シエルはくすくすと笑いだした。
「どうしたのです、シエル。いえ、マイ・レディ」
「いいのよ、シエルで。ファントムハイブ家は特殊な家だけど、これからはもっと
特殊な家になるのだなと思って」
「そうですね。それもまた新しいファントムハイブ家になっていいのではないです
か」
「えぇ、二人で新しいファントムハイブ家を作っていくのだから。これから、楽し
みだわ」
二人で朝食をとる・・・そんな当たり前のことが、幸せだと思えるようになった自
分の気持ちの変化にも驚いていた。
おとうさまとおかあさまが亡くなった時には、こんな風に誰かと笑いあいながら、
食事ができるようになるなんて思っていなかった。
セバスチャンがそばにいてくるようになったから、というのが一番の理由だと思う
けど。
ずっとこんな幸せが続くと良いのに。
シエルは心から思った。

           ◆    ◆    ◆ 

式の時間が近づいてきて、セバスチャンとシエルは同じ馬車に乗り込み、教会へと
向かう。
シエルはセバスチャンの手によって、胸元の少しあいた純白のウェディングドレス
を着せてもらい、普段はほとんどしない化粧をしているせいか少し大人っぽく見え
る。
ブルネットの長い髪は、上でまとめられ、プラチナのティアラにはブルーサファイ
ヤとダイヤが散りばめられ、キラキラと輝いている。
シエルの向かいの席に座ったセバスチャンは、美しいシエルを満足げに見つめてい
た。
白いレースのヴェールが顔にかかっているので、今、どんな表情をしているのかう
かがい知ることは出来ない。
白い手袋に覆われた手が、膝の上で微かに震えていることにセバスチャンは気がつ
いた。
「大丈夫ですか、シエル?」
震えている手に優しく触れると、シエルの身体がびくっと大きく反応する。
「・・・不安になってきたの・・・」
ヴェールごしの顔は心なしか、いつも以上に白く、血の気がないように見える。
「失礼します」
シエルの横に座ると、白いヴェールを上げ、顔を見るとやはり血の気が引いている。
淡いピンクの口紅を塗った唇を軽く噛みしめ、何かに耐えているようだった。
「どうしたのですか、シエル?」
セバスチャンは、何もないように優しく語りかける。
「・・・この幸せがいつまで続くのか考えたら、不安になったの。またおとうさま
とおかあさまのように急に、セバスチャンを失ってしまったら・・・」
うつむいていたシエルが顔を上げると、青と紫のオッドアイの瞳に涙を浮かべてい
た。
「・・・シエル・・・」
愛する者を失う辛さを知っているから、幸せな時間が急に奪われてしまう怖さを知
っているからこその不安なのだろう。
セバスチャンはシエルの細い肩を抱き寄せた。
「そんなに心配しなくてもいいように、私がシエルを幸せにしますよ」
「・・・私と一緒にいることで、セバスチャンがつらい目に遭ってしまったら、ど
うしたらいいの?」
セバスチャンは胸元からハンカチを取り出し、シエルの大きな瞳に浮かんでいる涙
をふく。
「・・・私はそんなにやわではないですよ。それに、私は私なりに覚悟をして、シ
エルと結婚をするのです。私を信じてくれないのですか?」
「信じているわ。でも、不安なの」
セバスチャンを見つめるシエルの瞳は真剣だった。
「確かに絶対に大丈夫といえない状況になることもあるでしょう。それは、シエル
自身も覚悟して女王の番犬になったのではないのですか?」
「私はそういう運命だもの。それ以外の選択肢はなかった。だから、いつ何が遭っ
てもいいように覚悟はしているわ。でも、セバスチャンは違う。他の人生を選ぶこ
ともできるのよ」
セバスチャンは白絹の手袋をはずし、白いシエルの頬に触れると、いつもは温かい
頬が冷たいことに驚いたが、そのままやさしくなでる。
「いいえ、私の人生はすでにシエルと共にあるのです。他の人生など考えられませ
ん」
「・・・・・」
「愛しています、シエル。何が起こっても後悔をしないように、今、この時を大切
に過ごしていきましょう」
シエルはセバスチャンの手に自分の手を重ね、青と紫のオッドアイの大きな瞳を閉
じると一粒の涙が頬を伝った。
「ありがとう、セバスチャン。今だけだから。教会に着いたら、ちゃんと笑うから」
「はい。シエル」
シエルの頬の涙をすくい取り、頬にキスを贈る。
「キスして、セバスチャン」
「口紅が落ちてしまいますよ」
セバスチャンはシエルの細い身体を抱きしめ、やわらかい唇に自分の唇を重ねる。
微かに強張っていたシエルの身体は安心したように、力が抜けていくのがわかった。
唇を離すと、シエルはセバスチャンを見つめ、口元に笑みを浮かべる。
「口紅がついてしまったわ」
セバスチャンの持っていたハンカチで口紅をとろうとして、手を伸ばしたが、一瞬
間があいて、セバスチャンの薄い唇に自分の唇を重ね、セバスチャンの耳元で甘く
囁く。
「愛しているわ、セバスチャン。この先もずっと私のそばにいてね」
「もちろん。死が二人を別つ時まで・・・」
シエルはセバスチャンの口紅を落とすと、照れたようにはにかんだ。
馬車がゆっくりと速度を落とし、止まった。
「ついたようですね」
セバスチャンがシエルのヴェールを下ろすと、失礼しますとタナカの声がして、馬
車の扉が開かれた。
教会の中にはシエルとセバスチャンの親族や親しい者達が笑顔で、二人が入ってく
るのを待っていた。
セバスチャンが先に降りると、シエルに手を貸し、馬車から降ろそうとすると、ま
ぶしい日差しにシエルは一瞬とまどったようだったが、すぐにセバスチャンの手を
握ると馬車からゆっくりと降りた。
セバスチャンはシエルをタナカのそばまで連れて行くと、自分は別の扉から教会に
はいり、ヴァージンロードの途中まで歩きだした。
「よろしいですか、お嬢様」
タナカに声をかけられ、シエルは決心をしたようにうなずくと、タナカの腕に手を
ゆっくり伸ばした。
パイプオルガンの響く教会の中をタナカと一緒に一歩ずつゆっくり歩いて行く。
シエルのウェディングドレス姿を見て、参列者から感嘆の声が上がる。
1歩、また1歩、進むたび、昔のことが思い出される。
大好きだったおとうさまとおかあさまの笑顔。
楽しく、幸せだった毎日。
ずっと続くと思っていた幸せな時間を突然失ってしまったこと。
セバスチャンの所まで進むと、タナカが小さく囁くような声で、言う。
「どうぞ、お嬢様。幸せになってください。先代もきっと心から望んでいらっしゃ
います」
「ありがとう、タナカ」
「お嬢様をお願い致します」
「はい」
タナカの腕からセバスチャンの腕へとシエルの手が渡される。
二人でヴァージンロードを歩くのことが、シエルの幼いころからの夢だった。
「行きましょうか、シエル」
「はい」
二人は向かい合い微笑み合うと、一歩ずつかみしめるように歩む。
女王の番犬となり、笑うことも泣くことも忘れ、「レディ・ファントム」とよばれ、
恐れられる存在になった。
女性としての幸せを捨てる覚悟をしていた私に、安らぎと一人の女性としても幸せ
を与えてくれたセバスチャン。
私にとってかけがえのない人。
命に代えても守りたい人。
神父様の前まで進むと二人で立ち止まり、膝まづいた。
誓いの言葉は夢の中で聞いているような不思議な感じだった。
自分がきちんと答えられたのか、シエルは緊張のあまりよく覚えていない。
ヴェールを上げてもらい、セバスチャンに指輪を左の薬指にはめてもらい、そこで
やっと現実なんだと、実感できたような気がする。
結婚証明書にサインをして、二人が夫婦になったことを神父様から宣言されたのを
聞いて、シエルは純粋に嬉しかった。
セバスチャンは、軽々とシエルを抱き上げると、ヴァージンロードを出口に向かっ
て歩いて行くと、参列者から次々とお祝いの言葉が贈られる。
エリザベス、フランシス叔母様、マダム・レッド、タナカ、バルドロイ、フィニア
ン、メイリン・・・みんな嬉しそうに微笑んでいる。
フィニアンが用意したのか、白バラの花びらがあけられた教会の扉からはいってき
た風に吹かれ、教会の中に舞い散った。
「・・・綺麗」
シエルがつぶやくと、セバスチャンは、
「シエルの方がずっと綺麗ですよ」
と言って、バラ色に染まった頬にキスをした。
もう一人の少年のシエル・・・私は幸せよ。
偶然にも知ることができたもう一人の自分の存在。
あなたはあなたの幸せをつかんでね。
別の空間の別の世界のシエル、皆が幸せになれると良いのに。
シエルは心からの笑顔を浮かべ、青い空を仰いだ。
これからは、セバスチャンと共に生きていく。
どんな時も二人で一緒に。
同じ道を共に歩んでいく者として・・・。

           〜Happy Wedding〜

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初めまして、月の雫と申します。
セバシエが大好きという気持ちだけで、書き上げた物語ですが、楽しんで頂けたで
しょうか?
稚拙な文章ですが、少しでも楽しんでいただければ、幸いです。
大好きな「夢幻の館」の良野様の結婚のお祝いにと書きました(≧∀≦)
女の子シエル喜んで頂けましたでしょうか、良野様?
結婚、おめでとうございます。