「Honey」

夜桜の下、永遠の愛をお互いに誓いあった時、僕とセバスチャンの『ゲーム』は終了し
た。
その後、二人の関係が変わったかというと、何も変わらなかった。
そう、僕の心以外は・・・。


セバスチャンはいつものようにシエルの好きなスイーツを作り、アフタヌーンティーの
用意を整え、執務室の扉をノックする。
「はいれ」
その言葉を待ってから、失礼致しますとセバスチャンは部屋に入ってくると、恭しく一
礼した。
「お待たせ致しました。坊ちゃん」
心なしかセバスチャンの声がはずんでいるように聞こえる。
会社の書類に目を通していたシエルは顔を上げ、茶色の瞳を細めて自分を見ているセバ
スチャンに視線を向ける。
「仕事に集中していて気がつかなかったが、もうそんな時間か」
シエルは書類を机に置き、凝り固まった華奢な身体を思いっきり伸ばす。
左の薬指にちょうちょ結びされている薄紅色のリボンが、ひらひらとシエルの頭の上で
揺れている。
あの日セバスチャンに結んでもらった左手の薬指のリボンは、セバスチャンの魔力によ
って、シエルとセバスチャンにしか見えないようになっている。
揺れるリボンを見て、セバスチャンは優しく微笑む。
お互いがお互いのものだという証。
「少し休憩されてはいかがですか?」
「そうだな。ちょうどきりもいいところだし・・・」
セバスチャンは執務机の上の書類を手早く片付けると、イチゴのミルフィーユ、バニラ
アイスクリーム添えとシエルの大好きなミルクたっぷりのミルクティーが入ったティー
カップをシエルの前に用意する。
シエルの大きな青い瞳は、セバスチャンの白絹で覆われた左手の動きをじっと見つめて
いた。
手袋ごしに見ることはできないが、セバスチャンの左手の薬指にも同じ薄紅色のリボン
が結ばれているはず。
それを考えると、あの時に誓った言葉が思い出され、今更ながら照れてしまう。
あの時の気持ちに偽りはない。
自分の心にあった素直な感情を言葉にしただけなのだから。
「どうしましたか、坊ちゃん。いえ、シエル」
じっと自分の左手の動きを目で追っているシエルに気付き、セバスチャンは声をかける。
(猫じゃらしを追う猫のようですね・・・)
セバスチャンは内心、苦笑する。
「な、なんでもない」
慌てたように視線を逸らし、机の上のフォークをつかむと、イチゴをさし、一口で口に
入れる。
きっと、ずっとみていたことなんてセバスチャンにはわかっているはずだ。
自分の耳まで赤くなっているのではないかと思うほど、顔がほてっている。
スプーンでバニラアイスをすくい、口に入れると冷たくて、少し顔のほてりが冷めてい
くように感じた。
スイーツを夢中で食べているシエルをセバスチャンは、愛おしむように見つめていた。
半年の時間をかけて、シエルの心をやっと自分に向けさせ、心を手に入れることができ
た愛しい存在。
微かに薫るシエルの甘い香りに酔いそうになる自分がいる。
早く全てを自分のものにしたいと思う反面、ここで焦ったら、今までの時間が無駄にな
ってしまうと不安になる自分がいる。
悪魔の自分がこの小さな恋人、妻といった方が良いのだろうか・・・(シエルはどう思
っているかわからないが)に対して、不安を感じるなんて、今までなら滑稽だと笑い飛
ばして、自分の思うままに、力でシエルの身体を支配していただろう。
「愛しい」という感情を知ってしまったからこそ、シエルの行動や言葉の1つ1つに敏
感になり、不安になったり、喜びを感じたりすることができるようになった。
この人間のような感情をセバスチャンは嫌いではなかった。
永く生きてきたセバスチャンにとって、新鮮であり、何よりも彼の嫌う退屈を感じない。

スイーツを黙々と食べているシエルだったが、内心、いつもスイーツを食べている時間
は、二人で何をしていただろうかと必死に思いだそうとしていた。
今まで、どんな会話をしていたのか全く思い出せない。
普通どおりにすればいいとわかっているのに、その『普通』が急にわからなくなってし
まったのだ。
ちらりとセバスチャンに視線を向けると、にっこりと微笑んでいる。
ますます気まづい。
何か言わなければと思うが、頭の中は真っ白のまま。
一体、どうしてしまったんだろう。
「シエル、ミルクティーのおかわりはいかがですか?」
ポットを片手にセバスチャンが近づいてくる。
セバスチャンが近づいてくるとわかっただけでも、ドキドキしてしまう。
「・・・い、いらない」
シエルは自分の心の変化に気づかれたくなくて、ついそっけなく答えてしまった。
「さようでございますか」
セバスチャンは残念そうな声で言うと、ポットを台車におき、シエルに近づいてくる。
(・・・どうしたらいいんだろう)
ドキドキと鼓動が早くなり、この場から逃げ出したいような気持ちにさえなってきた。
フォークを持つ手が緊張で微かに震えているのが視界に入り、フォークを机の上に置き、
セバスチャンから隠すように、机の上から自分の膝におろす。
「今日のスイーツのお味はいかがですか?」
耳元で低く囁かれ、シエルは身体をこわばらせる。
「・・・まぁまぁだな」
シエル好みの味なのに、なぜか素直に美味しいと言えない。
自分の為にセバスチャンが心をこめて作ってくれたスイーツだとわかっているのに。
「まぁまぁですか?今日のシエルは、手厳しいですね。では、もっとシエル好みのスイ
ーツをディナーでは用意致しましょう」
セバスチャンはにっこりと微笑むと、シエルの白い頬に白絹の手袋に覆われた手を添え
て、自分の方を向かせる。
セバスチャンの茶色の瞳の中に映っている自分が少しずつはっきりと見えてくる。
キスされると思った瞬間、自分の唇を手で隠してしまった。
「急にどうしたんですか、シエル?」
今まで何度となくキスをしているのに、こんな反応をされたことがないセバスチャンは
びっくりしたようにシエルを見ている。
「な、なんでもない。・・・今は、そういう気分じゃなかっただけだ・・・」
シエルはセバスチャンの視線から逃れるように大きな青い瞳をふせる。
「・・・そうですか。何かあったのですか?」
さすがのセバスチャンもショックを受けたようで、シエルの顔をのぞきこんでくる。
本当はキスしたかったのに。
シエルはなんで、あんなことをしてしまったのだろうかと後悔していた。
「・・・何もない」
相変わらず視線を合わそうとしないシエルに、セバスチャンは違和感を覚える。
いつだって、自分の瞳を迷いのない大きな青と紫のオッドアイの瞳で見つめてくるのに。
言いようのない不安に襲われる。
やっと手に入れたシエルの心なのに。
「何もないようには、見えませんよ、シエル」
セバスチャンの瞳が茶色からあざやかな真紅へと色を変える。
シエル自身、今まで『偽りの恋人』同士だった時には、平気だったことが、今はセバス
チャンの事を考えるだけで、胸がドキドキして、落ち着かなくなり、どうしていいのか
全くわからなくなる。
こんなの自分らしくないとわかっている。
今の僕ではセバスチャンに嫌われてしまうかもしれない。
自分でも気づかないうちにセバスチャンの事をこんなに好きになっていたなんて・・・。
今まで自分の気持ちに気づかないふりをしていた分、自覚してしまった想いの強さに自
分の心も頭もついていけない感じがする。
自分の今の気持ちをうまくセバスチャンに説明できる自信がない。
気まずい雰囲気にシエルは耐えられなくなり、椅子から立ち上がり、セバスチャンに背
を向け、1歩踏み出そうとした時、後ろからセバスチャンに強く抱きしめられてしまった。
「どこに行くつもりですか、シエル。やっと貴方の心が私にむいたと思ったのに、貴方
はもう心変わりですか?」
誓いあった言葉も忘れてしまったのですか?セバスチャンはシエルの耳元で、低く囁く。
片腕でシエルを抱きしめたまま、セバスチャンは口で白絹の手袋をはずし、机の上に放
り投げる。
「・・・忘れたわけじゃない」
シエルの白く細い首にセバスチャンは長い指を滑らせていく。
ひんやりとした指が動くたび、くすぐったいような、甘くしびれるような感覚に耐える
ようにシエルは大きな青い瞳を強くつぶる。
目じりには、うっすらと涙がたまってくる。
「なぜ、私を避けるような態度をとるのですか?」
やっぱり気づかれていたんだ。
シエルはうつむいて、自分の左手の薬指のリボンを見つめる。
「・・・そんなつもりはなかったんだ」
今にも消えてしまいそうな声で呟く。
セバスチャンは、シエルのリボンタイをほどくと、シャツのボタンを上からいくつかは
ずしていく。
突然のセバスチャンの行動に、シエルは動けずにいた。
「私がどれだけ貴方を求めているのか、わかっていないのですね」
身体をこわばらせているシエルの首に、薄い唇を近付け、軽くキスを繰り返す。
自分よりも体温の低いセバスチャンのやわらかい唇がふれるたび、その部分だけが熱く、
熱を帯びていく。
「・・・ん・・・セバ・・・ス・・・くすぐっ・・・たい・・・」
自分の身体にまわされているセバスチャンの左腕に両手でつかまる。
「本当にくすぐったいだけですか、シエル?」
シエルの首に唇を寄せたまま、セバスチャンは含みを持たせるような口調で聞く。
「・・・ん・・・」
シエルは唇をかみしめる。
セバスチャンから与えられる身体の力が抜けていくような甘い感覚。
初めてキスしたときとは、比べものにならないくらい胸がドキドキして、頭に靄がかか
ってしまったように、何も考えられない。
足に力が入らなくなり、自分の身体を支えるのが、だんだん難しくなっていく。
シエルの身体からは、甘い媚薬のような香りがいっそう強く薫る。
「どうしたんですか、シエル?」
その様子を見て、意地悪そうに微笑むとセバスチャンは、シエルの眼帯のひもをほどき、
紫の右目が見えるようにする。
セバスチャンの好きな青と紫のオッドアイの瞳は固く閉じられ、目じりには、涙がにじ
んでいる。
何も言おうとしない今のシエルのようであり、自分に対して心を閉ざしてしまったよう
にも見える。
「・・・・・・」
どうしたら、今の自分の気持ちをセバスチャンに伝えられるんだろう。
ボーっとする頭で懸命に考えるけれど、言葉が出てこない。
「何も言わないつもりですか、シエル?」
セバスチャンは、何も言おうとしないシエルのシャツの中へと手を滑らせる。
ひんやりとしたセバスチャンの掌の感覚にシエルの身体が、さらにこわばる。
細く白い首に口づけ、そのまま舌を這わせ、セバスチャンが強く口づけるとシエルの身
体に甘い痛みが走る。
シエルの身体はすでに自分のものだとわからせるために、所有印の赤い華を咲かせる。
心にも同じように自分のものだという所有印をつけることができたら、良いのに。
強くつぶったシエルの瞳から涙がこぼれおちる。
「・・・ん・・・やぁ・・・」
シエルは身体を捩って逃げようとするが、セバスチャンの腕から逃れることができない。
「私から逃れることができると思っているのですか、シエル?悪魔の私から愛されると
いうことがどういうことか、わからない貴方ではないでしょう?どれだけ、私が貴方を
愛してるのかも・・・。やっと全てが私のものになったと思ったのに、貴方は私を避け
る。なぜですか?なぜ、こうも私を拒絶するのですか?私を愛していないのですか?」
いつもは憎たらしいほど余裕なセバスチャンが、シエルにすがるように強く抱きしめ、
絞り出すような声で呟く。
その声にシエルの心は、ひどく痛んだ。
はっきり今の自分の気持ちを言わないことが、セバスチャンを傷つけている。
愛しい人を傷つけているのは、自分自身。
自分が今、しなければいけないこと。
それは・・・。
シエルの身体にまわされたセバスチャンの腕から手を離し、左手の白絹の手袋をはずす
とそのまま床に落とす。
自分とセバスチャンをつなぐ薬指の薄紅色のリボン。
セバスチャンの大きな左の掌に自分の小さな右の掌を重ねる。
「・・・違うんだ、セバスチャン」
ひんやりとしたセバスチャンの掌がとても心地いい。
セバスチャンは黙ったまま、シエルの次の言葉を待つ。
「・・・僕は自分の気持ちにずっと気づかないふりをしていた。でも、一度、自覚して
しまった想いの強さにどうしていいのかわからなくなったんだ・・・。セバスチャンを
傷つけるつもりなんてなかったんだ。あの時、誓った言葉に偽りはない」
「証明していただけますか?」
セバスチャンは、シエルを強く抱きしめていた腕の力を緩める。
シエルは少し戸惑ったように、振り向くと、涙でうるんだ大きな青と紫のオッドアイの
瞳で、セバスチャンを見上げる。
身長の差が、今の自分とセバスチャンの心の間の壁のようでなんだか嫌だった。
シエルは、黙ったままセバスチャンの手を引っ張って、自分の椅子に座らせる。
こうすれば、セバスチャンと自分の目線が同じになる。
自分で作った壁なら、自分で壊せばいい。
シエルの行動に少し驚いたようだったが、セバスチャンはシエルがどう証明するつもり
なのか興味があった。
鮮やかな真紅の瞳をじっと迷いのない大きな青と紫のオッドアイの瞳で見つめ、シエル
は両手でセバスチャンの頬を包み込む。
「僕の全てはセバスチャン、お前のものだ。セバスチャンだけを心から愛している。今
も、これから先もずっと何があろうとも、僕の気持ちは変わらない」
シエルは、セバスチャンの薄い唇に自分の唇をゆっくりと重ねる。
軽く啄ばむようなキスを繰り返す。
細い腕をセバスチャンのたくましい首にまわすと、深く口づけて、セバスチャンの唇の
間から小さな舌をいれ、歯列に沿って、舌で舐め上げていく。
セバスチャンはシエルの細い腰に腕をまわし、抱き寄せると、シエルのリードで始まっ
たキスの主導権を自分が奪うように、シエルの舌に自分の舌を絡ませた。
「・・・ん・・・セバ・・・ズル・・・イ・・・」
甘い吐息の合間に、シエルは抗議をするが、セバスチャンはお構いなしに、シエルの舌
先を舐めると、赤く色づいたふっくらとした唇を舌でなめる。
「ずるくないですよ。シエルが、証明してくれたので、私も証明しただけですよ」
身体の力が抜けてしまったシエルを自分の膝に横向きに座らせると、はだけているシャ
ツの鎖骨の辺りに舌を這わせ、強く口づける。
「・・・あっ・・・ん・・・」
甘いしびれるような痛みがシエルを襲う。
本当は胸につけたいところだけれど、シエルの心は自分のものという証の赤い華を咲か
せる。
熱で惚けた大きな青と紫のオッドアイの瞳で、シエルはセバスチャンを見上げる。
「そんな目で見ると、とまらなくなってしまいますよ、シエル」
シエルの身体からいつも以上に強く薫る甘い香りに、眩暈がしそうなのに。
「・・・とまらなくなる?」
不思議そうに聞き返すシエルに、セバスチャンはちょっと困ったような顔をする。
「それは、これから時間をかけて、教えていきますよ、ハニー」
「・・・ハニー?なんで、僕がハニーなんだ。立場的に、逆じゃないのか?」
シエルは不満そうに言う。
「そのうち理由はわかりますよ。愛しています、シエル。私たちは、夫婦になったので
すから、これからは、恥ずかしがらずに自分の気持ちは素直に言ってくださいね」
白い頬にキスをすると、シエルを包みこむように抱きしめた。
「・・・な、なるべく言うようにする」
シエルは、照れたようにセバスチャンの胸元に顔をうずめ、上着をぎゅっと握る。
「なるべくではなく、絶対です。夫婦に隠しごとは禁物ですからね」
ブルネットのやわらかい髪にセバスチャンはキスをする。
「・・・わかった」
「もう一回、愛してるって言って下さい、シエル」
耳元で低く囁くと、シエルは耳を真っ赤にしている。
きっと白い頬もほんのり赤く染まっているのだろう。
セバスチャンは、自分の胸元に顔をうずめているシエルの照れた顔が手に取るようにわ
かる。
さっきは、あんなにはっきりと自分の気持ちを自分にぶつけてきたのに、次の瞬間には
照れてしまい、なかなか言おうとしない。
そんな二面性がまた可愛いのだが・・・。
シエルに言ったら、怒るだろうか?
「・・・愛してる」
ぽつりとつぶやくシエル。
「できれば、私の顔を見て、言って下さい」
セバスチャンは、きっとにこやかな笑顔で言っているのだろう。
そんなの見なくても、シエルにだってわかる。
これは、何かの嫌がらせなのだろうか。
でも、今回、セバスチャンを傷つけるような態度をとってしまったのは、自分自身なの
だから。
シエルはセバスチャンの上着をぎゅっと握ったまま、ゆっくり顔を上げる。
ああ、やっぱり悪魔のにこやかな笑顔だ。
シエルは、覚悟を決めると、鮮やかな真紅の瞳を大きな青と紫の大きな瞳でみつめる。
「愛してる」
「私も愛しています」

悪魔のセバスチャンに愛されている僕。
そして、その悪魔のセバスチャンを愛している僕。
二人で、愛を囁きあい、二人で微笑み合うと、蜂蜜のように甘い甘い口づけを交わす。
これが僕とセバスチャンの日常になっていくのも悪くない。


END

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月の雫です。

「瞳の奥をのぞかせて」の続編を書いてしまいました・・・。
少しでも楽しんでいただけましたでしょうか?
読んで頂いてありがとうございます。